西新井文化ホールギャラクシティにて立川談春独演会を聞く

 18時半開演だから余裕だわ、とか思ってたら、油断して移動経路選択を誤る。しかも上野〜入谷間の日比谷線は架線事故かなんかで遅れまくってて、結局会場に着いたのは開演30分後。
 日比谷線のばかっ。 ……て、千代田線かつくばエクスプレスで回って行けば良かったのか、そうか;

 終演後に貼り出されていた演目は以下の通り。

(仲入り)

 客席に入ったときはもう、宮戸川の、若い二人がおじさんの家に宿を借りに来るちょっと前、おじさん夫妻のやりとりに入っていたのだった。ううう;

 しかし談春宮戸川は初めて聞いたのだけど、おじさん夫婦のやりとりがかなり長いのだった。あり、おばさんの天然キャラとか臨死体験話とかこんなにあったっけ、と思ったけども、あれは独自のバリエーションなのか、ああいう流れがあるのか。なんか毒づきながらも微笑ましくって可愛いんですな、この老夫婦の下り。
 この宮戸川は前半のみ、雷が落ちて抱き合ったところで切り上げられちゃったんだけども、お辞儀して頭上げて、すぐもう一つの演目に入る。枕は石川遼全英オープン初日の話。(丁度この前日のことだったのだった)ありえないけど、芸で例えるなら「談志と小三次の二人会に前座が一人入って三人で何かしゃべって、その前座が一番良かったようなもの」とか言うておられた。で、17歳つながりで、自身の修行時代エッセイであり師匠・談志について書いた「赤めだか」のことから、本には書けない談志の一面「裏めだか」が存在すること、そしてそれは赤くなくて真っ黒なのだ――という前振りの後、「骨壺の女」へ。
 これって新作でいいのかなあ、実話らしいから長い長い枕みたいなんですけど。ちょっと良い話、でもあるかもしれないけど、良い話というにはあまりにもなんというか; 大変面白かったんですが、よく考えると、笑っていいのかこれ、とも; ま、あんまりにも悲惨な状況ってのはもう笑うしかないものかもしれず、悲劇ってやつも傍目にはかなりおかしいものかも、などと思ったことであります、あとで。
 後半の「景清」は初めて聞く演目でしたが、江戸時代の信心、願掛けの様を描いた、かなり無茶な話。
 ――いや、現代でも同じようなもんかなあ; 眼病を患い医者にも見放された木彫職人が、目を治すために評判のいいお寺へ願掛けに通うんだけれども、長く通ううちに誘惑に負けたり焦れたりして、という。
 治らないのは人の弱さで、神様仏様に怒ったり恨んだりせずに真面目に信心を続けよ――と、いう心掛けは、まあこの主人公には正しいんだけども、あんまりのめり込ませるのも酷じゃなかろうかと。こういう状況で神様仏様を恨むのも無理ないし、途中旦那さんにも切り出してるように、目の見えないなりに暮らしていく方法を考えた方が穏やかに暮らせたんじゃなかろうか。
 終盤近く、雨の中の場面は流石の迫力なんですが、あれは生きのびられたのが驚きってくらいとんでもない状況では;(旦那さんも助けくらい呼んでこいと;)
 しかし、何もかも丸く収まる驚愕の大転回の下では、そんな疑問はうっちゃられてしまうのだった。嗚呼;
 や、面白かったんですけどね。こういうこと言うかっとか思いつつも泣かされちゃってるし。むう。――こ、こんだ負けねえぜっ!!(<何にだ!?)