ルイセンコとバビロフについて
某所に書き込みした関連で思いだしてネット検索してみたら、前より関連情報ページが増えていたので、心覚えのリンクを貼っておく。
- ルイセンコ主義(Lysenkoism)(Skeptics Dictionary 日本語版)
- 「はじめての進化論」河田雅圭氏のサイトより、七章 社会の中の進化論、1―進化的倫理をめぐって(このページ終盤)
- 「われわれはどこから来て、どこへ行こうとしているのか そして、われわれは何者か −宇宙・地球・人類−」山賀進氏のサイトより、人類の起源;用語と補足説明の「進化」の項
かいつまんで言えば、「特定の学説が謙虚に検証を受けることがないまま、イデオロギーや権力と結びついて選択されると、科学がねじ曲がるだけでなく非常に危険なことになる」という歴史上の事実。ルイセンコ説とその応用のヤロビ農法のお陰で、ソヴィエトの農業と生物科学は、1930年代半ばから二十数年もの間、停滞のみならず後退し続けたのだった。
同じ期間に欧米(西側諸国のことだが)では、遺伝子の概念が定着し(遺伝子の染色体説をショウジョウバエで示したモルガンも、ルイセンコにはいじめられたらしい)、DNAが遺伝物質であることが発見され、二重らせん構造とその複製と発現の機構も明らかにされていく。
私がルイセンコ学説を知ったのは、バビロフ(Vavilov)の迫害の話としてだった。バビロフは、植物分化の起源について膨大なフィールドワークを行った植物学者で、栽培植物種の発生の中心地域には、それだけ長い期間に渡る分化の蓄積があるため、他所よりも多様な形質のバリエーションが見られる、という視点から栽培植物の発生中心を推定した。この説は現代でも認められていて、DNA解析など分子生物学による検証ともよく一致したのだが、ルイセンコ学派を批判したためにバビロフは職を追われ、迫害されたまま獄死したのだった。
バビロフは1929年には来日していて、日本国内の植物学者と交流し、植物標本の提供などもしている。その時点で既に世界的に著名な植物学者だったのだが、その後にはあれよあれよという間に、研究どころか生命まで奪われているんである。
世の中油断がならない。
いやそういう話じゃなくって。要は、科学の研究成果や学説というのは、常に謙虚に批判や検証を受けた上で選択されないと間違いの元だって事だな。あんまり短期間に急激に定着すると、何かとんでもない間違いを巻き込んでないか、という不安になろうというもの。
とはいえこれは科学的研究に限らんような気もするけど、それは私が疑り深いだけか?
*追記:Wikipeia英語版、Nikolai Vavilovの項 ここの年譜によると1940年逮捕、1943年Saratov刑務所にて死去、だそうだ。
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多分現在日本語で読める文献の中で一番詳しいルイセンコ主義に関する資料だけど、絶版。復刊ドットコムの当該ページはこちら