危険について考える

なかなか解決に向かわないイラク邦人人質事件。
何が出来るわけでもない立場でどうこう言うべきじゃないのかもしれないけど、全然政治なんてえものに関ってないはずの私にもちょっとずつ影響はあるのだった。
例えば。
また映画見に行こうかな、確かコーエン兄弟の新作が出てるんだよな、などと考えていたら、コーエン兄弟繋がりで「ファーゴ」を思いだした。
縁起でもない。
いやあの事件とあの映画は関係ないはずだ。うん、大変面白く見ましたよ。救いのない展開で。でもあれとは関係ないったら。とは思うものの。
そんなこと言ったら映画「恋人はスナイパー」も予定通り公開出来るのか。原作が書かれた当時は荒唐無稽だった手法が、今や目新しくもない現実になっている。今更そんなことにぴりぴりしたところで事態は何も変わらないだろうけど。
首都圏の鉄道のテロ警戒は相変わらずだけど、もう皆さんぼちぼち慣れっこになってるような。不安が消えた訳じゃないけどね。
方々で見かける意見に「自分からあんな危険な地域に行く人間なんて自業自得だ」というのがある。自業自得とまで言うとまるで犯人グループに罪がないかのように思えるが、確かに人質になった人達は、ある程度死への覚悟もあったろうね。
ただ、だからといって彼等を非難するのはどうかと思う。今、アル・ジャジーラTVとか宗教指導者を通じて犯人に解放を訴えることができるのは、まだしも彼等が戦争に反対の人達だから。ああいう人もいなければ日本はイラク人にとって全く「アメリカの手下」でしかないわけだし。
民間人の方が狙いやすかった、という要因はあったろうが、もし人質にできる民間人がいなければ、こういう組織はいずれ無理をしてでも、軍人や外交官だって人質にとったろう。あるいは、イラク国外ででも、標的とする国の国民を拉致拘束できれば、同じようなことはできるわけだ。
何も大規模な爆破テロやバイオテロを企てるまでもない。先進国の方が通信や移動の足から所在が割れやすいという危険はあるけど、これだけ通信が発達してしまうと、外国にいる人質監禁の映像を、イラクのテレビ局に送りつけることだってできるわけで、それだって相手国政府には充分プレッシャーになるわけだ。
人質になってる三人を「自業自得」と言う声は、そうして他人事だと思いたい気持ちの裏返しではなかろか。確かに混乱のイラクに比べたら、日本は警察も機能してるし、人間一人の動きだって追いやすいだろうけど。
でも都会の人混みの中で、この中の誰かが突然連れて行かれても、周りの人間は気がつかないかも知れない、と思う。そんな物騒な思いつきを頭の隅に置いて、やっぱり今日も満員の電車に乗るんである。
考えるほどに気の重い情報ばかりで、日毎に感覚が麻痺しているような。思えば危険な地域とはいえ、イラクにだって普通に女子供も老人も病人も、愛国心やら政治意識やらとは無縁にのほほんと人生を愉しみたい庶民もいるはずだよなあ。イラクも日本も米国も、その他同盟国も一枚岩ではないわけだけど、他の国から見たらやっぱり日本という国は「米国の手下」だろうし。
だいたいなんで言われるままに自衛隊送っちゃったかなあ。憲法第九条なんて軍事的圧力の前には無力のおめでたい理想でしかない、という声は強まっているようだけど、内容の是非はともかくあれは、今みたいに「お前んとこも軍隊出せ」と詰め寄られた時「うちはそういうことできないようになってますんで」とやんわりと断るために残してあるんだと思ってたんだけど。ほれ、縁談を断るのに「年寄りが八卦を見て承知しなくて」とか「亡くなった父の遺言でどうしてもこういう方は駄目だと」とか言うみたいに。
本当に自衛隊呼び戻して欲しいと願うなら、首相官邸前でデモでもするべきか。だけどデモで訴えたことがお上に届いた例も知らないんだよな。