「アルゼンチンババア」試写会に行く

 とにかく手当たり次第に応募していた試写会が立て続けに当たったもので、折角だから見に行ったのだった。しかし移動の時間を読み誤ったせいで、到着したときには既に始まっていたという失態をやらかした。(ここのは予告が全くない試写会だったのだった)この冒頭の分は、多少私の評価の信頼性を割り引くべきかもしれん。

 このお話、最近ぽつぽつ方々で予告を見かけるようになってきたが、よしもとばなな著の小説を、監督・長尾直樹(あ、この方前に「鉄塔 武蔵野線」撮ってるんだ?)主演・堀北真希に、役所広司鈴木京香を配して映画化したもの。

アルゼンチンババア (幻冬舎文庫)

アルゼンチンババア (幻冬舎文庫)

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 オープニングとエンディングのスタッフ・キャストロールの背景には、よしもと氏の盟友であるという奈良美智氏の絵(最近描いてる少女像はあんまりツリ目じゃないのね)が使われている。

 で、映画。

 うーん。
 映像は美しいし雰囲気はあるんだが。特に「アルゼンチンババア」ことユリの住む廃ビル。寂れているけど異国風の凝った造りで、最初の方に出てくる、鈴木京香が一人屋上で踊るシーンなどは印象的。
 なんだけど。
 なんというか、意外なほど引っかかり所がない感じ。酷いことやショッキングなこと、困ったこと悲しいことが、たくさん起きているはずなのに。
 まず母親は死ぬし(原作は未読だが、おそらく癌かなにか。元気で頑健だった人が見る間に痩せ細って寝たきりになって病院でスパゲッティ状態)父親は葬儀もなにもかも放り出して蒸発。町はずれの廃屋にいるのが見つかるまでに半年を要する。主人公の女子高生はスナック経営の伯母と、いかにも頭の悪そうな男子高校生の従兄弟に手を借り、アルバイトをしながら父の帰りを待つが、見つかった父は全然自分や母のことなど考えてもいなかった様子。
 これは、相当悲惨な状況――であるはずなんだけど。呆然と強張った様子の堀北真希の表情だけから、それを感じ取るのは難しい。観客の感受性の問題かもしれないとは思うのだが――なんとなく表現の根底が、まったり穏やかに流れすぎている感じ。
 安心して眺められる、というならその通りではあるけども、本来刺激的であっただろうと思われるだけになんだか収まりが悪い。特に気になるのは、「アルゼンチンババア」の邸へ乗り込んで以降。この邸、元は小さいながらも趣向を凝らして造られたと思しい建物で、映像としては寂れた風情も含めてなかなか好ましいのだが、近付いた人々が一様に「うっ」と顔を顰めて鼻を覆うあたりからして、異様な臭気に覆われていたと思しい。(やたらたくさんいる猫達からして、猫の糞尿の臭いかな?)だけどそれは、俳優達の苦悶の表情だけでは伝わらない。雑草が伸び放題という庭は、映像としては結構清々しく見えてしまうものだし。
 さらに、町の人々を遠ざけているユリの風体の異様さも表現が足りない気がする。鈴木京香は頑張っているようだけど、ちょっとエキセントリックなファッション――でもそれは却って人目を引くかっこよさになってしまっている――をまとっただけの、普通に綺麗な女性に見える。ユリに抱きしめられた主人公や伯母・従兄弟が一々顔を顰めているところからして、彼女も何か異様な臭気を纏っているらしいのだが、それが何なのかは結局わからないままだ。化粧は多少濃くしているようだが、もっと隈取りやハイライトを強くしてけばけばしくしてもよかったんじゃなかろうか。(実際、学生時代にみかけた南米や東南アジアからの中年以上の留学生達はそうだった)異様な風体、というなら、見つかったときの父のほうが、ユリより格段に異様に見える。
 おそらく、本来この話の各所に仕掛けられるはずだったギャップは、もっともっと大きいものだったと思うんだけど。映像化するにあたって、かなりマイルドにして、毒気をぬいてしまったんじゃなかろうか、という気がする。
 穏やかに気楽に楽しむ話、としては悪くないと思うのだが、映画館で金を払って見るにしては、スパイスが足りない気がするのだった。

 あるいは、どうしてこれを映画にしなきゃならなかったんだろうか、という気も。
 これだったら、特別枠の長時間テレビドラマくらいに丁度収まる感じじゃないか、と思うんだけどね。