「サロゲート」を見る

 TOHOシネマズの年賀状割引を利用して見ておこうか、というところでこれを。「オーシャンズ」あたりにもひかれたが、人体電化ネタのSF作品はおさえておくことにしているので。(それと、こっちの方が早めに打ち切りになるんじゃないかという不安が;)
 以下、ネタバレを含むため畳みます。


 電化と言ってもこの映画の「サロゲート・システム」の場合、人体に接続のための外科手術を施す訳じゃなくて、操作者は寝椅子型の操作端末に寝た状態で、寝椅子に備えられた検出器が脳波を拾ってくれる、という形らしい。しかしそんな形の接続でも、端末ロボットであるサロゲートからの信号のバックロードのせいで、操作者が死ぬ、という事件が起こり、という物語。
 労働や娯楽も現場では端末ロボットを動かし、生身の人間は自宅に引きこもりでヴァーチャルに経験するだけ、という大枠の設定は面白いんだけど、細かいところは突っ込みどころ満載である。現代でも携帯やネットで似たようなことをしてる、とは言えるけど、人口の98%に普及てな無茶でしょう; 現代の先進国の携帯や自動車の普及率を考えても。低所得層には行き渡らない、とか、使うにしてもろくなものが回ってこなくて、必要のない私生活はやっぱり生身で、とかいうことになりそう。
 何より、本当にそこまで普及して、生身では街を歩くのも危険なくらいなら、引きこもりの生身があんなにこざっぱり健康そうにしてるわけはないと思うが。身なりとか食事とか、すごくどうでも良くなって荒れるんじゃないかな。
 まあ食事や衛生状態については、引きこもりの健康維持のための商売も現れて繁盛していそうだけど、服装や髪形についてはどうかと。主人公の奥さんの実体が登場したとき、正直言って拍子抜けしましたぞ。あの髪は一体どうやって整えていたのだろう。自宅に美容師を呼ぶのか。まあそういうサービスも発達してそうだけど、ああいう生活をしてる人々が、サロゲートを飾るほどに自らの生身を構うことを気にするかどうかは疑問だ。
 追っかけっこなどのアクションシーンは楽しみましたけどね。ぶつかっても壊れても痛くない、いくらでも代わりのあるロボットだと思うと、皆さん無茶をするもんですな。しかしふと、ああいう追跡をやるためなら何も人型ロボットでなくてもいいじゃん、と言う気も; 同じような疑問のあるポイントは他にもあって、一番分かりやすいのはジャック・ブラックデヴィン・ラトレイ(失礼。確認してみたら全然違ってたんで訂正しました)演じるところの、生身の監視システム管理者ボビーのとこにいた、部下の監視人。ビーチハウスからサロゲートを操って優雅にバイトしてる、とか言っていた。でも何も、人型ロボット端末の前に沢山のモニタを置かなくても、ネットからヴァーチャルに監視出来れば十分のはずと思うんだけどね。
 いや、まあ多分あれは、映画の画面としての分かりやすさを優先したんだろな。色々無理はある気がするけども。
 というかこの映画はそもそも、こういう突っ込みどころを楽しむ、というのが正しい見方と言う気がしてきましたぞ;