アンドリューとnintendogs

 夜、テレビで「アンドリューNDR114」を見る。アシモフの「バイセンテニアル・マン」(訳すと「二世紀人」、か?)を原作とするロボットSFである。

聖者の行進 (創元SF文庫)

聖者の行進 (創元SF文庫)

 ヒトに似せて作られたロボットが、必ずしもヒトに成りたがるとは思わないけどさ。でもヒトと一緒に生きてヒトの行動や思考をなぞり続けたら、そう思ったとしても不思議はないことだ。ヒトと一緒に同じように生きるために、老いや死を望んだとしても。
 まあ否応なく「死すべきさだめの人の子」からしたら、そんなもの贅沢な望みではあろうけど。

 この前書いたように、納得できる「終わり方」を用意されていない不死のnintendogsは、いずれ飼い主に取り残される。飽きられるか、死に別れるか。
 いやその前に「待遇悪すぎ」と判断して家出するシステムになってるかもしれないけどね。それも軟着陸の「終わり方」じゃあないです。
 だから、そっちこっちでnintendogsと楽しそうに遊んでいるレポートを見るたびに、どんどん暗澹たる気分になってくる。
 あんたらそれ、飼いはじめたはいいけど、止めたくなったら放置して家出されるのを待つか、データ消去して「始末」するしかないんだよ。そりゃデータでしかないヴァーチャル犬は消去に痛みも感じないし血が出るわけでもないけども、つい「薬で眠らせて箱詰めにして、箱ごとシュレッダー」なんてえイメージが浮かんでしまう。厭な想像力。
 もし一度飽きて/忙しくて手が掛けられなくなって、しばらく放置する羽目になったら、ふと思い出して気になってもなかなか再開できないんじゃなかろうか。内蔵時計連動でその分ほっとかれたヴァーチャル犬は、ずっと腹を空かせたりさみしがったりしながら(そういうパラメータは設定してあるはず)飼い主を待っているのだ。あるいは、待ちくたびれて家出しているのだ。
 裏技は、あるだろうけどね。時計を最後に構った直後の日時に合わせて再開する、という。ただ、そこまで手間をかけるくらいなら、やっぱりもう再開しないでデータ始末しちゃえ、と思っちゃうんじゃないかな、ほとんどのヒトは。また飼ってみたくなったとしても、新しい犬でやり直し。
 やっぱりこの「終わりのなさ」は、このゲームの致命的な欠陥という気がして来た。できることならバージョンアップ時に、何らかの形で「お別れ」の道をつけてやるべきじゃなかろうか。
 例えばプレイヤーが構いきれなくなってきたら、「仲良しの犬のいる家(ゲーム内バーチャルであれ他のプレイヤーであれ)が引き取ってくれる」道を選べるとか(後日付記:これはできるらしい)、すごく賢く育ってれば「介助犬候補としてスカウトされる」とか。(付記:どっかで見たパターンだと思ったらこれはドラマ「愛犬ロシナンテの災難」の終盤だ)あるいは、ある程度長く飼い続けたら、やっぱり穏やかに老衰死を迎えるとか。
 そういえば、ポストペット・パークにはペット達の墓地が設置されてましたな。終わる前にも、最後のメッセージを残してくの。
 ポストペットがヒットしたのは、ある意味ではきっちり「終わり」を用意していたから、ではないかとも思う。
 ほんとに、今後そういう修正版でも用意されないと、楽しそうにnintendogsを始める人々の声を読んでも、気が重くなってしょうがないのよ。思いっきり余計なお世話とは思いつつも。