「オペラ座の怪人」を見る

 そろそろ空いた頃だろうと思って行って来ましたよ。
 賛否両論を聞いていたのでどうだろう、と思っていたのだけど、代金分以上には十分堪能しましたな。
 「全然駄目!」との声もあった音楽だけど、そこそこ楽しみながらも「駄目」と言われる理由も分かった。クリスティーヌやファントムが、設定としてそうなっている「素晴らしいオペラ歌手」と感じさせるような歌を披露してないのですな。
 舞台を降りた会話部分で、ポピュラー音楽と言うかミュージカルの作法でというか歌ってるのはまあいいんだけど、舞台上で一夜にしてスターダムにのし上がるほどの美声、とか、実際は初対面なのに歌の力で夢見心地にさせてしまう誘惑者、とかいうほどの力は感じない。
 あの辺の歌だけ吹き替えればいいのかなあ。でもテンポとか間とか「ため」とか、演出上もっといろいろやれたんじゃないかと思うところもたくさんあるし。リズムってものもあるんだから、ただ吹き替えればいいってもんじゃないよなあ、きっと。
 音楽でも結構楽しんだところはあって、全体としてみると、どうも「沢山の人間が歌っている」ところほど面白い感じがしますな。カルロッタをプリマドンナと持ち上げるシーン(楽しげな主旋律の後ろで、ハーモニーを保ちながらそれぞれの人物が勝手な事を言ってるあたり、オペレッタなんかで使われるお作法だ。確か「アマデウス」でもモーツアルトがそんなことを言っていた)とか、壮麗なマスカレードとか。――要するにメインの3人のバラードが総じてあんまり、ってことか;
 あ、でも二人だけで歌うシーンだけど「ポイント・オブ・ノーリターン」は良かったですな、やらしくて。オペラらしいかといわれるとどうだろうと思うけど。あのシーンのやらしさのためにDVD買っちゃおうかなあ、とちょっと思うくらい。あと、最初に地下水路に連れて行かれた時のクリスティーヌが無意味にガーターストッキング晒してるとことか、メグの胸の谷間とか。(なんかDVD購入のモチベーションって最近割とこんなん; 「セル・ブロック・タンゴ」のシーンのために「シカゴ」買ったりとか)
 美術的な演出等は大変よろしかったです。マスカレードで、華やかなんだけど衣装は全部モノトーンに金銀で、楽しげなのに、激しいカメラワークの動きが不安を醸し出すとか。「ヒキガエル」でシャンデリア落ちないじゃん、と思っていたら、クライマックスであの落とし方をするか、とか。あと小ネタでは、カルロッタをヨイショしながら、ピンクのスリッパにシャンパン注いで飲んでる支配人達とか。
 しかしドラマ全体で見ると、改めて、「これ、ラウルさえいなければ全て丸く収まってたんじゃ?」と思うあたくしはファントムに毒されているかしら。だってー、邪魔さえ入らなければファントムも殺人まではしなかったろうし。それでラウルさえいなければクリスティーヌもファントムにベタ惚れだし。舞台装置とか演出とか団員のレッスンとか、きっと2万フラン分ぐらいの仕事はしてただろうに。(夜中とかに「あーもうこんな動きじゃぜんぜんだめなんだよー」などとぶつくさ言いながら舞台装置をとんてんかんてん直して回るファントム。想像するとちょっと間が抜けている)
 「ポイント・オブ・ノーリターン」には、見ていてなんだか歌舞伎の「鳴神」を思い出したりしてしまいましたよ。(見た事はないんだけど)いやまあ、元々このお話自体が「美女と野獣」で、てことは原形は「サムソンとデリラ」で、洋の東西を問わず古来多く使われているパターンだけどもね。でもここで鳴神上人と雲の絶間姫を思い出しちゃったのは、たしか雲の絶間姫は結局鳴神上人にほだされちゃうんじゃなかったかな、と。
 ああでももしかすると、単に、「ポイント・オブ・ノーリターン」のあの絡みが、話に聞く「ありゃ乳でございますわいな」みたいだったからかも。
 しかし、こんな濃厚な絡みをやってみせてるのに、ファントムは実はキスも知らない童貞の引きこもりオペラオタクなんだよなあ。――と、気が付いてちょっと色々頭を抱えた。そう考えるとこの物語自体すごくおかしいことなんだけど、そんなことを気にする私が捻くれて爛れているのだろうか。
 いやそもそも、オペラ座からほとんど出ないで地下水路の隠れ家とかで暮らしていた男が、あんなに健康的に血色のいい顔色をしてる事自体首を捻ってたんだけども――こういうことは、見てみぬふりをするべきなのかっ?;