「わが教え子、ヒトラー」を見る

 Bunkamuraル・シネマは火曜日が割り引きなのだった。渋い造りらしいぞ、という評判を小耳に挟んで、駆けつけたのだった。
 うむ。面白かったっすよ。
 だけどね。見終わって考えるに、どうもこれ宣伝のしかたをすごく間違えてるような気が。
 だってこれ、予告やらビラやポスターやらは生真面目な歴史作品、心温まる交流の話、みたいに謳ってるけど(「『善き人のためのソナタ』のウルリッヒ・ミューエの死の直前に撮影」とかね。いや、良い役者さんですよ。惜しい方を、とは思うけど)、全編ばりばりコメディじゃないですか。(ちなみにウィキペディア英語版に置いてあるポスターはこんなの。)きついブラックコメディだけど。ドイツでの製作過程でも「ヒトラーを笑いにするなんて」て声もあったようですが、言ってみればそんなことはるか昔にチャップリンだってやってるし。
 ――まあ、もしかすると、日本の多くの観客にはこのユーモアがわかりにくかったのかもしれん。疚しさが邪魔をして笑えない、とか。でもなー、命令系統が伝書ゲームになってるとか、出会うたびにいちいちやかましく「ハイル・ヒトラー!」の応酬をしたりとか、笑うとこだと思うんだけどな。収容所へ護送しようとするSSと、電話で釈放命令を受けて迎えに来た警察(ゲシュタポか、あれが)とが道で睨み合ってるところに空爆が来るとこなんざ、昔懐かしいドリフみたいな演出だと思ったんだけど、他の観客は誰も笑ってなかったようなのだった。――笑うとこじゃ、ないのか?;
 まあ、笑って愉しむにしては、設定が重すぎるというのはあろうけども。最後のところなんて、ほんとに命を懸けた捨て身の「攻撃」なんだけども、言葉面だけをとったらまことに馬鹿馬鹿しくお下劣なことなんですな。彼は微笑んでたけども、彼の最後の「言葉」があれとは。
 しかし、コメディとして成功してるかどうかは置くとしても、こういうものがちゃんと作れて上映できるようになったというのは、隔世の感がありますな。ヒトラーの扱いがどうの、とはいうものの、同情を寄せつつも徹底的にコケにしてるし。おとりまきの方々も、結局の所みんな小物だし。ゲッベルスなんか「ベルリンに爆弾は当たらない」とか嘯きながら、自宅が焼けたと知ると「スーツは!シュタイフの人形は!」とか細かいことに拘るという。
 ……まあ、コメディの演出なんだけど。戦争も終盤に来た時期のナチス中枢部の状況は、実のところこんなだったんじゃあるまいか、と思っちゃいますね。
#ちなみに、ヒトラーに演説の教師がいたのはほんとだそうですが、ユダヤ人だった、というのはこの作品で盛り込んだフィクションだそうな。だからアドルフ・グリュンバウム教授は実在する方じゃないのですね。
 しかしあの「新年の演説」が、ほんとはどんな文章だったのかがちょっと気になる。リーフェンシュタールが撮影した記録映画って、ほんとにあるのかしら。
#あ、もう一つ特筆すべきこととして。わんこは大変愛らしかったですな。あれは、いかめしかったり重苦しかったりけばけばしかったりする画面の中で、一服の清涼剤でございました。飼い主=ヒトラーにマウンティングなんかもしてるし。