青山ブックセンターにて春日武彦×吉野朔実 トークショー ゲスト:穂村弘を見る

参考:春日武彦(精神科医・作家)と吉野朔実(漫画家)による「不可思議な行動」トーク、ゲストに穂村弘(CINRA.NET)
 この本↓の刊行記念トークショーがあると聞いたもので、狂言の後で表参道経由青山ブックセンター本店へ移動。

 青山ブックセンター本店は初めて行ったのだが、妙な建物で面白かった。ただ、アート系が強い本屋とはいえ、「ソトコト eco-AD展」なんてのをやるのはどうかと思ったが。
 それはそれとしてトークショー
 新刊刊行記念とはいえ、内容は必ずしも「精神のけもの道」に沿った話ではなかったのだった。
 とはいえ、色々と面白うございましたよ。とりあえず、思い出せる範囲で話題をピックアップしてみます。(メモもないうろ覚え故誤記もあろうかと思いますが。)

  • 春日氏、吉野氏、穂村氏のそれぞれの交流歴。吉野氏が穂村氏に短歌を教わっているとか、現在春日氏と穂村氏が一緒にエッセイの連載をしているので、そちらが本になった暁にはゲストで吉野氏が呼ばれるであろう(まだ当分先だそうだが)という見通しなど。
  • 新刊本の元であるPR誌『アスペクト』での連載の話。毎回与えられた一つの題に対して、春日氏と吉野氏はそれぞれ別々に連想されるエッセイ/タイトルページ画&短編漫画を執筆する、というもの。ただしお二人とも締め切りはきちんと守るたちで、焦ったことはなし。吉野氏は連載開始前に全回分を描き上げていたとのこと。しかし、締め切りを守っても編集氏に特に褒められることはない。むしろ落としそうでぎりぎりにあげる人々の方が陣中見舞いのお菓子なんかもらえてたりする、という。
  • 穂村氏より、「けもの道」に入り込んでいるひとについての話。例えば動物園で(猿山だったか)動物を見ながら、ずっと執拗に上下運動をしているひとがいて、その人がどう見ても六十代くらいの年齢に見える場合、このような状態でどうやって六十代まで生きてこれたのか、というあたりが大変気になったり、羨ましいような気がしたりする、という。ただし、そんな通りすがりのひとに、何故そんなことをするのか、ということを聞くわけにもいかず、ちょっともどかしいような気持ちも抱くのだが。そのような、現実的な日常生活の対応には全く役にたたないと思しい思考・感性を「夜の思考」と呼んでいるが、という。ただし一方では、そのような「全く役に立たない」と思われていた感覚にも、今の自分には分からないだけで、何かそのようになる訳があるのかもしれず。例えば、ある時穂村氏は友人の方と電車に乗っていたら、そのお友達が、彼自身の生活や趣味嗜好からすると全く興味を持たないと思われるような女性週刊誌の広告を熱心に眺め始めた。この時はちゃんと良く知っている相手だったので、何にそんなに興味を持ってみているのか、と訊ねることができたのだが、それによると、お友達と言う方はグラフィックデザインをやる方で、その車内広告は、フォントがちょっと特殊で、漢字と仮名のバランスなどのセンスが良かったので、それが気になって眺めていた、と判明。聞いてみれば腑に落ちる理由だが、もしかすると「動物園で上下運動」の人物にも、実は傍からぱっと観ただけでは分からない、深遠な理由があるのかもしれず。
  • 吉野氏より ホームで後ろから突き落とされないか、と言う不安の話。(後の質問コーナーで、ご家族の内御母堂と弟さんは「石橋を叩いて壊す」ほどに慎重/懐疑のひとで、吉野氏御自身と御父君は結構思い切りのよいたち、という紹介)
  • 穂村氏が参加しておられる「短歌パラダイス」の企画の優勝者の方の話。合宿で短歌を発表・新作する、という催しでご一緒されたという。この方の作品は、素人が読んでもはっとするような感覚の鋭さなのだが、精神の危うさも感じる、という。
  • 本当に繊細で、「けもの道」のような領域に近いのではないか、と思われる方の例として平山夢明氏について。「竹槍がなぜ竹で出来た物をつかうか」などについて子細に語られるという。(その心は、本当の「竹槍」は節が抜いてある物であって、中空の部分から血が流れて止まらなくなるように、なのだそうな)
  • 穂村氏より、「心太は箸一本で食べる」ということについて。春日氏、吉野氏をはじめ会場のほとんどはこの習慣を知らなかったのだが、地方によってはあるらしい。(調べてみたら、名古屋周辺と北陸・東北の一部にあるらしく、食べ易さは別としてそうするのが粋とされている、ということらしい)
  • 春日氏から物語の創作について吉野氏に質問。新刊でとりあげたような「けもの道」の状態に近付く/入り込むなどして描くことはあるのか。また、物語作家のうちには「キャラクターが勝手に動いてくれた」という話をするひとがいるが、そういうことは本当にあるのか、と。(春日氏としてはとても信じられないが、とのこと)吉野氏の返答は、「けもの道」状態については、毎回そういう状態へは行く、全ての作品がそう言うところで描いている、ただし、話の収まりをつけるためにはそこから理性の世界へ戻って来る、という部分がちゃんとある。ただし作家さんによっては入り込んだまま物語を作っているひともいる、とのこと。(霊が見える、霊的現象に遭遇する、という山岸涼子氏の例に言及。『日出処の天子』の終盤などは、そういう感覚で描いたと思しい、として)また、「キャラクターが勝手に動いてくれる」については、まずほとんどそういうことはない。ごくまれに、一度か二度か、そういうこともあったが、まずそういうふうにはならない、とのこと。
  • (質問コーナーで)春日氏の(心の中に)持っている「神様の手帳」(だったか?)について。要は、人生の損得の帳尻を合わせるために、自身に課している縛りのリスト、らしい。「ギャンブルはしない」とか「電車で席は譲らないけど募金はする」(だっけか?)とか。席を譲らないのは、何かしら見返りを求めてしまう自分の気持ちに気付いているというところで既に「違う」から、らしい。
  • (「夜の思考」についての質問から、だったか?)穂村氏が会場に来る前、会場近くのある店の店頭に片腕を動かすクマのぬいぐるみが置かれているのを見た。クマは両脚の間にバケツを抱え込んでいて、そこにはラーメンの豚骨スープのような色合いの液体が入っていて、そこへ手を降ろしては持ち上げて口へ運ぶような動きを続けているのだった。しかし、実際に液体に手先が着いたら、それはそれは面倒なことになると思しいのに、と近付いて確認してみると、バケツの中身の物は、それなりに納得のいく素材であった。(ちなみに私は帰る途中、件のクマぬいぐるみ氏を見つけて、バケツの中身が何かも確認しました)しかしここで、バケツの中身を撒き散らしてみたい、べたべたにしてみたい、という要求もまた心中に感じるのであったが。

 件の新刊書も心惹かれはしたが、ここでは購入せず、まだ持ってなかった新書を一冊購入して帰る。