七月大歌舞伎夜の部「夜叉ヶ池」「高野聖」を見る

 元々歌舞伎を見る人というわけではないのだが、泉鏡花作品の舞台化ということで出掛けてみたのだった。(三階席だけどね。)「高野聖」を海老蔵玉三郎でやる、というので評判だったのである。
 元々戯曲として書かれた「夜叉ヶ池」と違って、「高野聖」なんてえ妙な話をどうやって舞台にするか、と思ったのだが。
 むう。
 結論から言うと、地味。
 海老蔵玉三郎は美しいのだが、話の結末自体が舞台に向いてるとは思えない。色々舞台演出上の工夫はしているのだが、種明かしをされても(それも台詞で語られるだけだし)だからどうなるというものでもない。どうしようもない、という若い修行僧(原作ではこの物語を語って聞かせる後の高野聖)の情感は分かるのだが、折角あれだけ奇妙で恐ろしいことが起こっていたにも関わらず、その情景が全く演じられない、というのは寂しい感じ。蛭の群れ、というのも台詞で出てくるだけだし。
 あるいは、この前に「夜叉ヶ池」を見てしまったせいでよけいそう感じたのかも知れないが。
 「夜叉ヶ池」は良かったですよ。悲恋だし、化け物総動員の幻想劇だし、化け物達を統べるお姫様は美しくも恐ろしく情熱的だし、派手派手しい大立ち回りも入るし。
 で、そういうのを見ちゃうと、折角ああいう回り舞台の仕掛けを使うなら、なんぞそういう見せ場があって欲しいと期待してしまうのだな。
 まあ、また次に見に行くときは、できるだけ派手な演出が期待される演目を選ぶことにしようと思うことだった。「天守物語」とか「海神別荘」をまたやらないかな。
原典(青空文庫):