「モンゴル」を見る

 浅野忠信チンギス・ハーンを演じる、先日アカデミー賞外国語作品賞にもノミネートされたという作品である。(ちなみに外国語作品賞受賞は先日見たヒトラーの贋札」)
 で、役者としてはともかく、どうしてチンギス・ハーン浅野忠信肖像画とか一般的なモンゴル人のイメージとしても、細くて長身すぎないかい? もっと骨太でむちむちした役者を捜した方がいいのでは?(誰とはいわんが――まあモンゴル国内にも人材はいるんじゃないかと)
 と、思わないでもなかったのだが。とりあえず見てみて、冒頭でなんとなく納得。
 や、基本的に底辺を這いずり回ってる日々の話なのだ。首枷つけられて食うや食わずで引きずり回されたりとか。牢獄に繋がれっぱなしで数年、とか。あれでは、あんまり肉付きが良くても拙いのだろう。
 子供の頃は、かなりむちむち骨太なんだけども。あれはやはり、子役はモンゴル人なんだろうな。顔つきや体型が、どうも朝青龍なのだ。目が細く切れ長の、丸顔の地味な顔立ちで、基本的に表情も余り動かないのだが、内気と言う感じではなくふてぶてしいほど落ち着き払っている。妻のボルテ役の女の子もそんな感じ。あれは子役の勝利、というか演出の技量であろうか。よくああ図太そうな子供が撮れたものだなあ、と。
(以下、ネタバレに配慮して畳み)
 チンギス・ハーンの伝記というよりは、彼についてのモンゴルの伝説を綴った英雄譚、と思った方が良い物らしい。ハーンになるまでの過程も、井上靖「蒼き狼」で読んだのとはだいぶ印象違うし。
 物語は主人公テムジンが9歳の時からはじまるのだが、婚約を決めた直後にハーンだった父親が死に、ハーンの座と財産をまとめて奪われる。簒奪者達は息子が後に脅威になるかも知れない、と考えるが、子供は殺さないのがしきたりだというので、養いながらも背丈を測っては「まだ小さい。大きくなったら殺す」とヘンゼルとグレーテルの魔女のようなことを言っている。で首枷つきのまま走って逃げ出すのだが(足枷はついてないのな。まあ首枷がそれなりにかなり重いんだろうけど)山で「天神」に祈って枷を外したあと、大人になるまでどうやって生き延びたのかはばっさり端折られている。次に出てくるといきなり浅野。
 その辺が気になるのに。
 しかし財産も馬もなくて、家族の所に戻るとまた捕まえられるんで一人で徒歩で逃げ回ってて、捕まえられるけども殺される前に逃がしてくれる奴もいたりする。そんな暮らしを続けてなんとか大人になったんか、と想像する。
 で、思い立って(何で思い立ったのかは一々描かれない)子供の頃婚約したっきりの妻を迎えに行く(逃げるために馬はもらったけどやっぱり無一文)と、何か宿世の縁てやつなのか、何年かぶりに会ったのに彼女も結婚を望んでくれる。
 実はこの妻とのラブ・ストーリーが、この映画のかなりの比重を占めていたりする。草原だけに、「よーしつかまえちゃうぞー、あはははははは〜」(ごろごろ)みたいなシーンも何度か出てくる。
 恥ずかしがってはいかん。こういう土地では数少ない娯楽なのだ。
 しかし、お互いを運命の恋人と思い定める二人、と言っても、現代映画のラブストーリーの文脈とは大変に違っている。なにがって、「純潔」とか「嫉妬」とかは、ほとんど意味がないらしいのだった。新婚の翌日あっという間に妻が奪われ、一年ほども経ってから合戦の果てに取り戻すと、予想通りというか妻は妊娠している。当然なさぬ仲の子なわけだが「俺の息子だ」とかあっさり受け入れてしまう。驚くほどドライだ。プラグマティックと言うか。やれればいいというか。(<え;)
 後年、2番目の子の時にも同様のことが起こるが、こっちは更に厳しいギャップだったりする。西夏の砦で牢に入れられ晒し者にされてるのを助け出すために、妻は隊商の男と結婚して女の子をもうけるのだが(多分もう3歳か4歳くらいになっている)救出が成ると子供二人連れて一緒に草原に帰ってしまう。娘に「もう一人のお父さんは?」と訊かれると「今日からはこの人がお父さんよ」あっさりしたものである。とりあえず、世話になった隊商の男は殺さなくて済んだんかな、ということだけが気に掛かったが。砂漠でたまたま母子を拾って、そのまま面倒見てくれたんだろうに。
 しかし、この夫婦子供の家族だけが描かれるようだが、基本的にモンゴル人は大家族で遊牧生活だと思ってたがなあ。まあまたダンナが戦いのために消えた後(これも考えや予定はほとんど話さない。いいんかそんなんでっ)はきっと、他の家族と合流したんだろけど。
 とか色々引っかかりどころはあるが、そういうのは多分、こちらが現代の日本の価値観で見ちゃうせいなんだろな。ぐだぐだ説明しない、体で覚えた経験と重要な感情だけ押さえて、ぱっぱっと決めて動く。そんな感じ。
 画面や美術なんかはしっかりしてるようでしたけどね。ちゃんと埃っぽくくたびれて使い込まれてる感じ。主人公他、えらいひとになると遊牧生活にしてはちょっとこざっぱりしすぎてる気もしたけど(だいたいあれだけ髪長くしてたら、埃まみれになって絶対モール状に絡まっちゃうはずだが!!)まあ、可でありましょう。冒頭の、牢の中で陽に灼かれ埃に晒されて一気に草臥れ老け込んだと思しい主人公の顔(あの肌は特殊メイクかなあ)を見せられたら、大抵のことはありと思うかもしれん。
 殺陣の派手派手しさと血腥さも良かった。(だから、血に弱い方は見ない方がよろしい)生々しい戦闘な画面造りの他にも、最後の合戦で現れた物々しい両手剣の斬り込み隊の、行って戻って来れてもやっぱり死ぬんだなあ、という非情さなども、物語として大変印象深かったのだった。
 しかし西夏の牢を出た後、ハーンとして再びのし上がってく過程もばっさり切られてるせいで、部下達との関係などの描写が薄いという気はする。奴隷になって引っ立てられながらも弱った者を庇ったり、という場面くらいか。(でもここで庇った連中、みんな戻れずに西夏で死んだんですなあ。その辺の非情さもなんとも)
 監督は「モンゴル2」を製作したがってるそうだが。この続きを見せて欲しい、とは思うものの、これだけのプロジェクトがそうそう動かせるか、というのが心配ではある。見せて欲しいとは思うけどね。壮年〜晩年のチンギス・ハーン像も。しかしそのためには、役者ももう何年か年を重ねてからの方がいいかもしれん。「エリザベス:ゴールデン・エイジ」みたいに。

 ひとつだけ、はっきりしたんじゃないか、と思うことは。
 こんなものちゃんと撮ってるんなら、「蒼き狼」なんて「チンギス・ハーン伝」の勘定に入れて貰えんだろなあ、ということ。
 いや、日本語で話してるから、てのがまずあったけどさ。それより何より、画面が当時のモンゴル人にしてはきらびやかにさっぱりしすぎてるし、情感が日本人的にべたべたしてるのもどうよ、ということになっちゃうのだな。これと比べたら、そういうことが一層際だっちゃうだろうしね。

 それはそうと、この映画のサントラは出てないのかなあ。民族音楽をアレンジしてるらしき、弦楽器がジャカジャカいう楽曲(エンディングで流れるのなんかロックだった)が大変好ましかったので購入したかったのだが、映画館の売店にはなかったのだった。Amazonで捜してみても見あたらないし。
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