「パフューム ある人殺しの物語」を見る集い

 ごくごく個人的なお集まりではあるが、封切り日に「パフューム」を見るという企画があって出掛けていく。普段は封切り日に拘ることはないのだが、まあ見ておこうと思っていた映画ではあるし、面白い機会ではあるし。
 しかし休日ダイヤを侮って移動が遅れ、入館前の集合時間に間に合わなくなる。慌てて幹事に電話して他の皆様には先に入っていていただき、自分は予告編が始まったあたりでなんとか滑り込む。ああ満員じゃなくて良かった;(前評判も高かったのに、初回だったせいか館内は割と余裕ありましたよ)
 原作は評判を聞きつつまだちゃんと読んでいないのだが、これが世界的なベストセラー小説だということと、「匂い」という映画の視覚表現では表しにくいものを主軸にしていること(まあ文章でもそれはそれで困難なわけだが、それに成功しているということでこの著者は賞賛されているらしい)から、映画化は非常に困難、ていうかまず無理、と長らく言われてきたのだそうで。でも原作未読の状態で言うのもなんだけども、この映画は映画で、非常に誠実に情熱を持って作られていると思いましたね。
 主人公は人間離れした特異な嗅覚の持ち主なので、世界をまず嗅覚によって認識し、それ故に人間としてはどこかぎこちなく、周囲の人々に馴染まないままに成長していくのだけど、それをどこか動物的な動作や表情でもってベン・ウィショーという役者がうまいこと表している。パンフによると、役作りのために精神病患者の動作や、猫の動きなどを研究したそうなのだが、言われてみれば作中で主人公はほとんど「笑う」ということをしていない。自分の作業に満足したり、彼にとっての人生最大の歓びであるはずの心地よい香りを嗅いだりという場面でも、陶然とした表情で満足を表すだけなんである。言われてみればあれは、表情筋のない猫に似ている。
 物語は概ね主人公の視点で進むので、主人公の嗅いでいる「匂い」の元である物達の映像はふんだんに盛り込まれている。冒頭からして猥雑で見るからにべとべとした魚市場だし。ぴかぴかした山盛りの青魚にはちょっと食欲をそそられるけど、人々も背景もねとねと薄汚れているし、一瞬とは言え捌かれた魚の赤黒い臓物や、鼠や蛆虫の群れなんてのも映る。その後の場面でも、育児院にすし詰めの孤児の爪にはちゃんと黒く垢がたまっているし、最初に徒弟にやられる革鞣し工房も半裸の男達が汗だくで働いてていて、ぬめぬめした革の加工現場は実際に行ったこともないのでどんな臭いがするかは知らないんだけど、見るからにすごい臭いがしそうだと思わせる焦げ茶色だったりする。
 主人公がパリの街中でうろうろするあたりから、生臭さ以外の、ちょっと心地良さそうな匂いのイメージも多くなっていくのだが。多分これも貧民ではあろうけど、主人公が最初に魅了される果物売りの少女は、彼女が商っている新鮮なプラムの黄色も相まって溌剌として清潔な感じだし。その後弟子入りした落ち目調香師(うらぶれた小悪党の風情をダスティン・ホフマンが演じている)は、店先では白粉と頬紅を付けていたりする。
 場面がパリを離れると、山道やら洞窟やらラヴェンダー畑や香料原料の花々やら、広くて清潔そうな香料工房やらで、かなり爽やかな映像が続くのだが。その一方で、主人公の身も蓋もない欲望は、町を阿鼻叫喚の渦に巻き込むのであった。
 ただ、酷いこと忌まわしいことが起こっているはずなのに、恐ろしいと感じる一方で、場面の印象は意外に爽やかなのだった。少女達が何が何だか分からない内に息の根を止められてるせいか、あるいは主人公が娘達の裸身にも一片の肉欲も示さず、「モノ」として細心の注意を払って清潔に扱っているせいか。(や、それはそれで変態なわけだけど)
 CMで話題になっているという、死刑を待って広場を埋め尽くした群衆が集団乱交になだれ込むというシーンも、実際に見てみると肉欲に任せてと言うよりは、無邪気な子供がじゃれあっているように微笑ましく綺麗なものだった。――まあ、わりと綺麗に見える部分だけを切り取ってるんだとは思うけど。観了後、同行の人々と話し合ったところでは、男と女、女と女の絡みは見えたけれども、むくつけき男同士の絡み合っているところはなかったようだ、とか、貧しい人々はそれなりに顔や手や身形が薄汚れていたのだが、全裸になってもシミやらできものやらが映ったところはなかったようだとか。
 主人公をみなが崇め奉るということからして、このシーンは、天使/救世主/殉教者の元に実現する楽園の寓意なのであろう、と思ったりする。(もちろん奇跡の力が消えると、途端にそれも忌まわしい体験に変わるわけだけども)普通のひとではない主人公が、忌むべき非道の犯罪者でありつつ、普通の一般的な人間の「悪」とはかけ離れた動物的な「無垢」であるという矛盾がこういうカタルシス/カタストロフに収束するんだなというのは非常に良く分かる。二段落ちの後の方もその点は同様。正しく殉教者、だが、消える香りの如く後に何も残さないという。
 他に見るべき点を挙げるなら――

  • 猫。ぐあう〜(TmT)〜随分立派で愛らしいと思ったら〜〜;;
  • 犬。飼い主の香りに途端にご機嫌になっちゃう様子と来たらこの畜生が! だけども、あの嬉しげな演技は一体どうやったんだ、と感心。
  • ヒロインのカロリーネ・ヘルフルト(最初の運命の少女)とレイチェル・ハード=ウッド(令嬢)はどちらも大変可憐で美しかった。でもあの見事な赤毛はどっちも染めてるよねえ、と。
  • 心配性の父親は、原作では実は娘との近親相姦の欲望に悩んでいるのだそうだが、それについては「あれはアラン・リックマンがやってるんだから察してくれってことだろ」とのご意見が。この方って、心が弱かったり影があったりする役ばっかりなんだそうだ。――スネイプ先生とか?
  • 主人公は原作では醜い容貌となっているけど、ベン・ウィショーの主人公は表情や動作が妙なだけで、特に醜い姿にはしていない。パンフによると、醜くするメークなども色々検討したが、結局やめたのだそうで。まあクライマックスでは、ある種聖人のような威厳を見せなければならないので、「醜さ」の選択も難しいところだったのではなかろうか。

 で、映画の後、上記のような事柄について、お昼を食べながら色々脱線しつつも2時間ほど楽しくお話ししたのだった。(昼酒はいいですね。)デブ専がどうのとか、シャイで場数を踏んでいない男の子が女の子に縁遠いままなんか妙な路線に偏っちゃったりとか、某ギャングスター・シミュレーションゲームの攻略がとか、そのような話で盛り上がる。
 ――が、店を出る段になって、参加者の割り勘だと思っていた支払いが、いつの間にやら何故か主賓の奢りという形になっていることに驚愕。ひいい。あたくしはこのご恩をどこかで返さなくては、心穏やかに年を取ることもできませんぞ。
 そういうこともあって、またこういう機会があることを心待ちにしているのだった。