「墨攻」を見る

 アカデミー賞も終わったことだし、という時期だが、ここでノミネート作品を見るんじゃなくそろそろ空いてきた頃だろうと「墨攻」を見に行く。実はちょっと、どうだろう、という感想も見聞きして迷っていたのだが、音楽が川井憲次だという情報を得て、俄然行く気になる。元よりあたくしもパトレイバーやら攻殻機動隊やらに執着している人間ですんで。
 で、見た。
 やあ、心配することなかったっす。ちゃんとしんどそうで悩み苦しんで埃まみれでよれよれの酷い話になってました。(←褒めてます。)だってばたばた死ぬし。まだ敵に捕まっても居ないのに、慌ててるうちに取り返しのつかないことになってるし。生き残っても猜疑心やら妬みやらにかられて味方同士で潰し合うし。善意の助け手は報われずにとばっちりで死ぬし、才能ある若者は折角の技能を疎まれて不具にされるし。
 途中ちょっとだけ挟まれる、映画オリジナルのヒロインキャラとのまるで少年少女のようなほのかな思慕なんてのには、おいおい甘すぎじゃねーか、というところもあるのだけど。しかしこれもきっちり「酷い結末」に繋がるから、これはこれでよし。(←外道か私は?)
 しかし行く前に、原作というか原原作の小説「墨攻」を入手していたのだが、背景と主人公の身分の設定だけは一応共通しているものの、これはほぼ別物になってるんですなあ。漫画を読んでないので、どこまでが漫画化の段階に施された脚色か分からないけど、原作は長編と呼ぶにはやや短いくらいの、あっさり淡々とさくさく進んで続編もない話なんである。

墨攻 (新潮文庫)

墨攻 (新潮文庫)

 原作と映画を比較すると、戦いの間に起こることも、共通して登場する人物の反応や行動や性格設定も違う。主人公も映画の方では、はるかに弱さを残していて迷っていて、自分の指示した戦いの合間にも「こんなに殺していいのか」などと悩むことになっている。(それは実戦経験が全くなかった、という共通の独自の(後日訂正。失礼)設定を生かしているとも言えるけど)――まあ、別の話ですな。それで「原作は漫画」と言っているのか。
 しかし終盤まで、これでもかとどんでん返しが用意されているのにはちょっと驚いた。あの状況下からあの展開とは、と。細かく言えば「総司令官がこんなとこにいていいのか」とか「いくらなんでもああはならないでしょ;」というところもいくつもあるのだが、ドラマとしての勢いで見せてしまっている。
 そしてエンディングテーマにおおたか静流の胡弓のような声が流れる頃にはすっかりじーんとしていたりするのだった。
 まあこういうのは、楽しんだもの勝ちかもしれん。