「禅 ZEN」を見る

 予告を見て、幾ばくかの不安はありつつも見ておかねばと思った映画だったのだった。
 いや邦画だし角川映画だし、色々合わないところが出るであろうことは容易に予測できたが、それでも見ておかねばと思ったのだった。何故かと聞かれると困るのだが、仏教思想をちゃんと取り上げた映画自体が少ないからだろうか。それと、出演者はかなり良いところを集めているようだったし。

 で、見て。

 うむ、予想通り色々変だったが、やっぱり見ておいて良かったと思ったのだった。中村勘太郎は頑張っているし、歌舞伎の人だけあって所作の美しさはさすが。また端役ながら宋の寺の典座として登場し「禅問答」らしきものをふっかける老僧(役名もないらしいのである)を演じるところの笹野高史なぞはさすがの貫禄である。また脇を固める内田有紀や、テイ龍進、村上淳という同輩・高弟達も渋くいい感じである。
 ただその、展開の急ぎ方とか演出とかに、色々妙なところがあるのは否めないなあ、と; いや、二十代から五十過ぎで亡くなるまでを駆け足で紹介するから端折るところがあるのは仕方無いけど、道元の教えがどのように浸透していったか、もうちょっと説明してくれてもいいと思うんだが; せめて六波羅探題の波多野義重がどうして道元に助力してくれるのかくらいは説明してくれても; あと、懐奘をはじめとする達磨宗が最終的にはまとめて道元の元に入ったというのも、もうちょっと説明してくれても、と;(そも達磨宗自体がどういう集団だったのか全然わからないし; 後で調べたら元々大陸の禅宗の流れを汲むらしいので思想的に近かったのではあったんでしょうけども、あの流れではあんまりにも唐突;)
 また、おそらく、揺るがない道元に対して「迷える衆生」として登場したと思しい俊了とおりんのエピソードは、物語そのものはともかく演出があんまりにもベタで「赤面すること請け合いだ!」な感じではある。あそこまでやらなくても。(だいたい中国語も習ってたという場面はあったけども、あの言葉はふつーに考えても習わないでしょう、同輩の僧侶からは;)
 それと、「悟り」やその他心情を表すらしいCGはなべて変だった; 妙に整いすぎててぺかぺかと華やかで、どこぞの宗教団体の安手のプロモビデオみたいでしたぞ; あれなら下手に入れない方がよかったんじゃないか、と。
 しかしま、後半に入って藤原竜也演じるところの北条時頼が出て来たら途端に流れも随分良くなったので許す。なんだー、早めにこの人出しとけばよかったんじゃないの、というくらい。
 ただその、つつけばいろいろと妙なところはまだあるのよ; そういや最後の方で道ばたの片目の乞食に施してたのは「サツマイモ」に見えたんだけど、とか……:(ちなみにサツマイモの日本伝来は江戸時代です。青木昆陽先生です。鎌倉時代にあるわけもないのです;)
 まあそういうツッコミどころも含めて愛すべき作品なのかなあ、と。しかし一方では、いやそれはあんまりにも甘過ぎだろうか、と思ったり::