「クライマーズ・ハイ」を見る

 何か色々と批判的な感想も見かけましたし、現在のロードショー上映中の邦画の中ではぱっとしない方らしいですが。
 見てみたら、良いじゃないですか。
 いや、色々と引っかかるところはある。(例えば冒頭からして、高嶋政宏演じるところの山仲間が、以前同行者を滑落させただかして死なせた、という話をしている下り、台詞が聞き取りにくくて辛かった。まあ子細はともかく「立派な山の男を死なせた後悔」が伝わればいいのか。あと、新聞社社長の山崎努の車椅子にずっと置いてあるペットボトルの水とか。あの時代にそれはないだろう、と)しかしまあ、「ジャンボ機が消えた」と聞いてわらわらと記者達がそれぞれに動き出すところとか、後半の山場として記事の無茶な差し替えを画策して販売&印刷の担当者ともみ合いになるとことか、群像劇の場面になるとこう血湧き肉踊るものがあるなあ、と。思惑が入り乱れ、熱意が空回りし、足引っ張ったり情に流されたりしながらそれぞれの人間が動く、というのは随分面白かったですよ。
 あと、既に方々で散々語られているようだけども、墜落現場に登った堺雅人滝藤賢一(と、いう役者さんだそうだ。知らなかったんですが)の両氏がちょっと凄い。もう、山道でどろどろのでろでろになってかけずり回って、酷い物を見て打ちひしがれて、戻ってくると報われない。ここで、へろへろになって本社に戻ってきた堺雅人が、あの優しげな綺麗な顔で、物凄い荒んだ表情を見せるもので、ちょっと、おお、と思いましたね。
 ただしこの後、堺雅人演じる佐山は、翌日の一面に向け、抑制の効いた記事を書いて、強かに冷静さを取り戻すのに対し、滝藤賢一演じるところの神沢は、打ちひしがれたまま精神の安定を失っていく。序盤で、たまたまカメラ持って動けるから、てんで現場への同行に指名された時の笑顔と、現場を見て後の不安定さが全然違うの。考えてみれば、佐山は元々が県警担当のキャップなんで、若いながらも色々と修羅場をくぐっていると思しいのだけども、対して神沢は生まれて初めて死体を見て、しかもそれが油まみれの五百数十人分のバラバラ死体、というので、ひどいことになってしまうんですな。今の時代なら、そういうトラウマは後で深刻なことになったりするからセラピーくらい受けさせろ、と気が付くかも知れないけど、なにしろこれは滅多にない大事故を相手にしてる最前線で、周りはなかなかその深刻さに気が付かない。結果としてこの神沢については、まことにまことに酷いことになっていく。トラウマの連鎖が。
 あと、賛否両論みたいですが、事故調査委員会の取材に走り回る女性記者・玉木というのは、映画のオリジナルキャラなんですな。女だから手柄を横からさらわれるのか、とぴりぴりする辺り、でも結局は佐山と協力して取材に駆け回って、なのに結果的には報われなかったりするのだが、というあたりは、いいエピソードになってると思うんだけど。
 ――とはいえこの映画、変なこともたくさんやってるんで、傑作とは思わないですが。そもそも1985年の報道現場と2007年の登山の過程をカットバックで見せる必要があったのか。いや、やってもいいけど、それをやるならもうちょっとこう分かりやすくして欲しいところが色々。だいたい2007年の主人公が、22年分も年取ったようには全然見えないし。私は「2007年初夏」て字が出た後で堤真一が登場したところでは、どうも30代ぐらいにしか見えないからきっとすぐ前の1885年の空港のシーンで出てきた息子の成長した姿なんだろう、と思っちゃいましたよ。あと、終盤にニュージーランドのシーンが挟んであるところも、何の必要があったのか良くわからん。まあ親子の和解を端的に示すんだろうとは思うけど、ニュージーランドまで行く必要があるんかな、と。
 で、何より一番首を捻ったのは、音楽なんですが。どうも、役者の演技や台詞自体は抑制が効いているのに、音楽の選択はベタなんですわ。時には場違いな感じさえする。ナット・キング・コールの「モナ・リザ」はいい曲なんだけど、なんであのシーンにあの音量で流すのか良くわからん。パンパンだったという主人公の母との、米国映画の思い出を反映したものか、とは後で気が付いたけども、見ている間はどうにも違和感が。――でもそれも、終盤のBGMのくささに比べるとはるかにましだったのだが。
 ところでこの映画、前にNHKで造ったドラマに比べると劣る、という声をよく見かけるのだけど、それはもしかするとNHKのが良すぎたんじゃないでしょうかね。ちょっと入手して見てみるかな、と思う次第。

クライマーズ・ハイ (文春文庫)

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