国立新美術館にて「エミリー・ウングワレー展 アボリジニが生んだ天才画家」を見る

 現代美術かー、抽象画系かなー、アール・ブリュットってやつかしら、となると、愉しめるかどうか……などと逡巡していたのだが、展示作品の多くが個人蔵で、この展示が終わったら所有者に返されるので、もうほとんど見る機会はなかろう、という話を聞いて俄然行く気になる。この辺の感覚が卑しいというか、われながら俗物かとは思うけども、折角だからどんな理由であれモチベーションが上がったところで見に行くのだった。
 で、展示。うむ、抽象画らしくはある。ただ、作者の経歴を聞くと、抽象画を目指したものでもなく。生まれ育った土地やそこに生える植物や動物、先祖伝来の儀式のパターンを作者の方法で再現したに過ぎないのかもしれず。色彩感覚は豊かで美しい、とはいえる。テキスタイルデザインとみるのが一番近いかも知れない。元々バティック染めの講習を受けて、十数年ばかりは染色の作品を造っていたということだし。
 ただ、様々な色合いの無数の点描から構成された作品を間近に見ていたら、だんだんくらくらしてきて、酔ったような気分になってしまった。まあ点描のパターンなんかじっとみたらそうもなる、と言われるかも知れないけど、それだけじゃなくて。この点描画はいずれも、何かを表現するために画面に必要な色を配置しよう、という意図だけとは思えないような執拗な塗り重ねをやってるんである。いや、何か意図したものはあるのかもしれないけど、それだけとは思えんような。塗ること、色を置く作業自体が別の意味を持ってるような。
 この展示を見た他の方の弁では、「表現ですらない」という見解なのだが、そうかもしれん、と思うところもある。曰わく、あれは先祖伝来の方法(か、あるいは作者が独自に到達したか分からないが)による作業の方法に則ったものではないかと。美術教育を受けてきた訳でもない作者には、芸術作品としてどう見えるか、どう思われるかなんてこととは全く関係のないところで作品を作ってるんじゃないか、という気はした。
 ただ、それも晩年は変化して来たのか、死の直前の時期に描かれた作品は非常に大胆に太い線を並べて描かれたパターンであったり、やわらかい色のグラデーションが平面的に塗られた部分が連なるものだったりする。流石にあれだけ執拗な点描は体力的に辛いとなったのかなあ、と考えていたが、あるいはあれは小さなパターンを描くには目が弱っているのではないか、という声も。
 まあ芸術作品として優れているか、と聞かれると私には分からないとしか言いようがないのだが、興味深い体験だったとは言えよう。ああいう酔っぱらい方もたまにはよろしい。
 ただ、国立新美術館のフロアの、足下から吹き上げる冷房はちょっと冷えすぎて困った。設定温度自体はそう低くなかったのかもしれないが。