「ヒトラーの贋札」を見る

 米アカデミー賞外国語映画賞受賞作。しかしアカデミー賞候補にノミネートされる以前から、評判を聞いてこれは見とかないとな、と思っていたのだった。ナチス・ドイツ統治下で、収容所での大量贋札製造作戦「ベルンハルト計画」に従事させられたユダヤ人職人達の物語。「ヒトラーの」と付くけど、ヒトラーは出てこない。(原題通りだとただ「贋金」か「贋金造り」とかなんじゃないかな?)
 や、見ておくものですわ、これは。酷い話なんだけれども、なんだかスタイリッシュだし。
物語としては、死刑台のプロジェクトX、とでもいうか。
 以下、ネタバレを含むので畳みます。
 ユダヤ強制収容所の話というと、まず悲劇的・非人道的な面がまず押し出されてしまうのが常だけども、ちょっとこの映画の描き方は趣が違う。そも冒頭が、美しい浜辺と街並みだし。しばらく見ているうちに、そこは終戦直後のモンテカルロであるのが示される。鞄一つでやってきた主人公は、豪華なホテルに投宿し、大金を貸金庫に移すと、床屋で顔を当たり、服を新調してカジノへ繰り出す。そこでナンパした御婦人とベッドをともにしたりする。
 で、この後に、1938年あたりからの回想になる。ベルリンの街中でナチスに捕縛され、収容所で画家として将校に取り入り5年を生き延びた後、突然移送される。物語のメインの舞台はこの移送先の収容所ではあるが、ここは「完璧な贋札を作る」という目的のために特殊技能を持つ者達が集められて特別待遇を受ける、という場所なので、清潔な衣類や柔らかいベッド、自由に使える石鹸や洗面台、そして音楽や卓球台といった娯楽さえある、つましいながらも快適な空間である。
 ただしその空間は、大きな収容所の一部に設けられた隔離施設なので、板塀一枚隔てた向こうでは他のユダヤ人達が日々非人道的な扱いをされている音が聞こえてくる。また他の収容所に連れて行かれた家族達は、以前として酷い目に遭っている/殺されているかもしれないことが、職人達(正確には元銀行員や、医師もか?)の誰しもが感じている。こうした「外」への恐怖/心痛と現在の自分の状況との捻れや、自分も失敗すればいつ殺されるかわからない不安を抱えて、日々を暮らすことになる。
 原作は印刷工として関わった人物によるものだが、この映画では原作者をモデルにした人物は正義感が強すぎて皆から疎まれるという役所に配し(実際の原作者は映画の「ブルガー」のような正義感を貫く余裕はとてもなかったそうな)、主人公は贋札作り・公文書偽造のプロ、悪党・ソロヴィッチにしている。
 この、カール・マルコヴィクスという役者さんによるソロヴィッチが大変によろしい。一見しょぼくれて、ドイツ将校達には平気でこびへつらってみせるけれども、その実したたかでタフで一筋縄ではいかない感じ。元々ユダヤ人であることなど何とも思わず、独り商売に精を出していた彼が、しかし収容所の工房では、同僚ユダヤ人から新たな犠牲を出すまいとして手を尽くすようになる――が、失敗して、静かに打ちひしがれたり。
 また、仕事については筋金入りの職人であるらしく、命が懸かっている、与えられた仕事だから、というだけとも見えない情熱で「完璧な」贋札造りに取り組むのだった。あるいは、何か造形してないといられない性分なのかもしれん。最初の収容所でも、班長の記録簿盗んでまでスケッチ描いたり、護送列車のなかでも藁屑か何かで人形みたいなものを作ったりしてるし。贋ポンド札の紙質改善を検討する場面で、原紙や、漉きたてのまだ濡れた紙や、原料のパルプのペーストを摘み上げて擦り、揉み、音を聞きまた臭いを嗅ぐ時の神妙な顔つきは、どこか憑かれたようでもある。
 加えてこの映画、予告やプレス情報にもどこにも書いてなかったんだけど、悲惨で重々しい物語と画面の割に、意外に音楽が多いのだった。主人公がベルリンで捕まる前にも、旅券偽造を依頼してきた女と「アルゼンチンならタンゴだ」とかいってレコードかけて踊るし。収容所の工房でも、ずっと何かしらレコードかけてるし。(塀の外の罵声や悲鳴や銃声から気を逸らすためだが)ドル札完成に対する慰労、ということで行われた復活祭のお祝いでも、囚人から芸達者がテノールを披露(「トスカ」あたりらしい)していたりする。
 つまりこの物語のポイントは、快適さ、平穏、という良いものと、不安、恐怖、疚しさ、というものとが一対になることで、互いに余計に強調されてしまうということらしい。終盤、戦争が終結に向かい、ナチスの看守達が逃げ去った収容所内の壁を破って、他の区画のユダヤ人達がやって来る。幽鬼のようにやせ衰え、虚ろな目をして。それまで薄々感じていた「疚しさ」がここで突きつけられる。折角終戦まで生き延びたのに、自ら命を絶ってしまう者もいる。
 主人公自身も、酷く虚しいものを感じてであろうか。カジノで豪遊した挙げ句、持ってきた大金(当然贋札だろう)をみんなすって――というか、勝った分もその場に大盤振舞して?――愉しそうな様子もなく浜辺へ去っていく。「金ならまた造ればいい」んだそうだ。筋金入りの贋金職人だ。
 でも、ラストの浜辺のタンゴはちょっとよかったですよ。あれはもしかすると、「金に踊らされていた」という比喩かしら。結局この人物は、心の慰めにタンゴを踊るらしいのである。(収容所の中でも一人でやっていた)重い物語だが、妙なところに枯れた詩情があるのだった。――もちろん、このあたりは脚色だろうけどね。パンフによればソロヴィッチのモデルになった人物は、戦後も贋金造りをして警察に追われるけれども、1950年あたりにブラジルに渡って玩具工場かなんかを開業し、70年代に死ぬまでそこで暮らしたのだそうな。
 参考文献:原作はこちら。

ヒトラーの贋札 悪魔の工房

ヒトラーの贋札 悪魔の工房

 あと、この作戦による贋札のその後を、戦後の取材から追ったリポートがこちら。
ヒトラー・マネー

ヒトラー・マネー

 映画から、心覚えに引用。(うろ覚えだけども)

「何故収容所には神がいないのか?
 選別で落とされるからさ」

#後日追記:余計なことだけども、Wikipedia日本語版の「ヒトラーの贋札」の項を見ててちょっと引っかかったもので、調べてみたら、カジノでサリーと知り合うご婦人を演じた女優さんはチャップリンのお孫さんだそうですぞ。
Dolores Chaplin(IMDb)
 この映画にはヒトラーは出てこないんだけどなー、と思ってたら、一回りして妙なところへ繋がったような感じ。