「パンズ・ラビリンス」を見る

 毎月14日は「トウ・フォー」の日、なんだそうで、TOHOシネマズの割引に惹かれて出掛けていく。
 「パンズ・ラビリンス」はメキシコのギレルモ・デル・トロ監督によるメキシコ・スペイン・アメリカ合作映画。先のアカデミー賞では撮影賞、美術賞、メイクアップ賞を受賞とのことで、スペインのアカデミー賞と言われるゴヤ賞(当然画家のゴヤに因むネーミングだな)では脚本賞を受賞。美しくもドラマ性豊かと呼び声も高いので気になっていたのだった。
 舞台は1944年のスペイン、内戦が終結してもフランコ独裁政権レジスタンスのゲリラとの戦いは山岳部に移って続いていた――という背景の下、不幸に怯える少女のファンタシィを描く。

(以下、この作品の結末に触れてます)

 で。この映画、ファンタジー映画との宣伝がされてるけども、ファンタシィであると同時に戦争映画なのだった。(内戦だけど)もう、傷つける死ぬ死ぬ傷つく死ぬ死ぬ死ぬ傷つく、と言う感じで。しかもこの映画では昨今の日本映画やハリウッド映画のように、暴力性を考慮して止めを刺す場面を映さない、ということはあんまりしていない。倒れているゲリラの若者達も、ぱんぱんッとばかりに無造作に撃ち殺していく。生き残って喋れそうだから連れ帰って尋問、というやつも、いっそ殺してくれという目に遭わせるし。(単純な工具もなかなか怖い。スペインにもあったんすねこういう伝統。)
 その暴力性・残酷さの要である主人公の義父・ヴィダル大尉は、家族とか血統といったものにはセンチメンタルな拘りがあるようだけど(といっても自分と血の繋がりがある男児、というところにポイントがあるので、妻の連れ子の主人公のことは全く意に介してない感じ)基本的に冷酷で高圧的な軍人で、レジスタンスやその協力者(と、疑われる人々)には情け容赦がない。主人公が直面する試練は魔法の世界での試練よりもまず、この義父の横暴からいかに逃れるか、だったり、臨月なのに体調の思わしくない母をいかにして守るか、だったりする。主人公に優しくしてくれる家政婦のメルセデスは数少ない心の支えだが、他に邸内にいるのはほとんどが大尉の部下の軍人達だし、母と主人公を気遣ってくれる医師も、出産直前に物語から退場してしまうし。基本的に孤立無援のまま、主人公はパンの示す「3つの試練」に立ち向かうことになる。
 基本的に、「現実」部分が酷い話なのだ。
 だからなんだか、ファンタシィ場面の仄暗く幻想的な美しさよりも、現実の酷さの方が頭に残ってしまう。いやでも、物語としてはきっと、この両方がなければ駄目なんだろうな、とも思うし。途中から、この「ファンタシィ」はどこまでが「現実」にも起こったことで、どこまでが主人公の妄想なのか、という気にもなってくる。(ああ擦れた大人の見方だ、とは思いつつも)
 医師の善意やメルセデスの情愛や勇敢さは救いなのだけども、基本的に救いのない話だと思う。パンフを見たら、あの結末はハッピーエンドなのだ、と監督は語っているのだが、どう考えても分かりやすいハッピーエンドではない。こちらの主人公の肉体が、冒頭で示された通りの結末を迎えているには違いないし、メルセデスが子守歌を歌ってくれるのがせめてもというところか。魔法の国における主人公の結末よりも、彼女が必死で守った赤ん坊の弟はメルセデス達の手で大切に育てられるだろう、ということの方がよほど救いに思えるのだが。
 ともあれ、苦みや痛みをきちんと描いている点でも、これは大した映画だとは思うのだけどね。
 ところでパンフあたりでも触れていたけども、3つの試練の場面やクリーチャー達の造形は、宮崎アニメあたりの影響があるんじゃなかろうか。大木の下のうろに潜っていく(となりのトトロ)、とか、泥と粘液まみれになりながらガマガエルと対峙する(「千と千尋」の河の神の洗浄や、膨張したカオナシが飲んだものをはきだしていくとこ)、とか。あと、白墨で壁に扉を描く、なんてのは、ドラえもんあたりにあったような気がするけど、他にも何か前例があったかな?

#余談:デル・トロ監督と、同じくメキシコ出身の映画監督達『トゥモロー・ワールド』『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』のアルフォンソ・キュアロンと、『バベル』のアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥはお互い親しい友人で、人呼んで『スリー・アミーゴス』なんだそうな。この映画にはキュアロンもプロデューサーとして参加している。そういわれてみると不条理な残酷さとか仄暗い雰囲気とか、共通のものがあるような気が。まあ、あるいはそれはこの三監督のみならず、メキシコという風土によるものなのかもしれないけど。
 しかし『スリー・アミーゴス』と聞くと、つい「踊る大走査線」シリーズの警察幹部三人組を思いだしてしまうあたりが病んでいるかも;
本当の元ネタは、昔の映画だそうなんだけどね。
#余談というか、背景として知っておくべきスペイン史。作中で医師が「これは負け戦だ」と言っていたけども、実際フランコ政権はこの物語の約30年後、1975年まで続いたんだそうで。してみると、ゲリラ達や、その活動の中で(ま、ゲリラそのものではないにしても、おそらくそれに近しい庶民の手で)育てられるであろう赤ん坊のその後の人生も、決して明るくないことは容易に予想できるのだった。
 彼女がのこした魔法の世界の徴として、この現実の世界にも嘘や苦しみのない花が咲くのを、誰ぞ目にすることができただろうか。作中で主人公が語ったお伽噺、荒れ野の山の頂上にひとり咲く、不老不死を与える薔薇の話なども、ふと重なり合うイメージとして蘇ったりするのだった。