ジュンク堂書店池袋本店トークセッション佐藤亜紀(作家)、仲俣暁生(フリー編集者・文筆家)『「ミノタウロス」を語る』に行く

 とはいえ、19時からだったのだが、退勤や移動に手間取って遅れて着いたのだった。予約制だから入れはしたけど、冒頭を聞きそびれた。
 お話は面白かったのだが、インタビュアーとしての仲俣氏はちょっと食い足りない感じでしたなあ。ファントークになって語りたがってしまうというか、動揺の様子が見られるというか。(緊張しておられたのか)まあ佐藤氏の方はいつも通り飄々と語っておられたので、色々興味深い展開もあったのだが、もっとツッコミ入れて食いついてくれてもいいのに、というところぽつぽつと。
 佐藤氏のお話の中から、思い出せるところをメモ。(思い出したらまた書き足します。誤記や誤解があったらコメント欄などでご指摘下さい)

  • 今後書くと思っている小説が7本、うち現在構想が具体的になっているのが3本。メッテルニヒもあるが、1本は戦前の、226事件の話。(三島由紀夫作品みたいになるのか、と言う問いに)全然そうはならない、エレンブルグみたいなの。
  • 子供の頃、御父君が世界戦争史(だったっけ)等の全集セットを持っていて、小学生ぐらいからその一部を読んでいた。御父君ご自身がちゃんと読んでいたかどうかは知らないそうだが、読んで衝撃を受けた。プラモデルも作っていた。
  • 日本文学はあまり評価しないのか、と言う質問に対して、どうも合わないところがある。例えば「源氏物語」などは、最初に読んだのは学生時代の教科書に載っていた抜粋だったのだが、源氏を巡って鞘当てをしている女性同士の牛車が鉢合わせして場所争いになる、という下りに、「こいつらはこんな暮らしを人の税でやってんのか」と思ったらどうにも文学的価値以前の問題で楽しめなかった。こうした日本の古典文学だと庶民以下はほとんどモノ扱いでしかない。対して欧州文学だと、同様の展開の物語であっても、別の身分の者達や被差別民族なども顔を出していて、差別やいい加減さはあるが、それはそれで語られていたりする。山の中で突然浮浪児に襲われて、実はそれが後のパルジファルであった、とか、黒人の騎士と白人の夫人が恋をして産まれた子が白黒斑の騎士、とか。
  • 三島由紀夫あたりはどうですか、との質問に対して)三島は、なんとも評価できない、あれは書きすぎたのだと思う。作品の出来にばらつきがありすぎる。もっと時間をかけて質の高い少数の作品を出していたら評価できたかもしれない。
  • 村上春樹は読む。日本語を変えた人だと思っている。「海辺のカフカ」の感想文をネット上での募集にはミーハーにも投稿してしまった。(*ご本人ではなく妹さんのエピソードらしいことが後で判明)村上春樹の「アンダーグラウンド」の功績は、東京でも路線毎にこんなに生活が違うんだ、ということを明らかにして見せたところ。
  • その流れで。大学で教えていた頃、学生が書いてくる小説のキャラクターについて、「まずこの主人公(東京近郊のどこかに居住すると思しい)はどこの沿線に住んでいて、親はどこの出身で、どのくらいの収入があって、本人はどんな生活をしているのか」を考えたか、と聞きたくなる場合が多かった。いやだいたい首都圏の中流層なんてみんな同じようなもんでしょ、と思っているようだったが、バックボーンによって色々違う。
  • 現代の生きて著作活動をしている日本人作家で楽しんで読む、評価している作家は笙野頼子のみ。笙野の登場は、現代文学史の中でも(他にもいるのかもしれないが佐藤氏が知る限り)最大の変化ではないかと考えている。特に卓越した言語感覚と構成力が。お薦めは「水晶内制度」
  • 自分にとって小説を書くのは苦ではないが、苦行になっている人もいる。ご亭主もそう。書いて立ち上がるとまともに歩けないほど。
  • ミノタウロス」について。ネット上の感想文でピカソの絵との印象の関連を述べている人がいて(ここかな?)、ああちゃんと分かってくれている、幸せな小説だ、と思った。
  • 続き、訛について。ウクライナ独立戦争の頃に、ウクライナ語を公用語として広めよう、という動きがあったが、うまくいかなかった。というのは、ウクライナ語というのはウクライナでも北部の地域の言葉で、ウクライナと一括りに言っても北部と南部で言葉も生活もまるで違う文化圏だったりした。訛についてはトロツキーが自伝で書いていて、オデッサの学校に行ったら、自分はロシアの標準語を話しているつもりだったのに「お前は訛ってる」と言われた、という話がある。
  • 続き、タチャンカについて。ウクライナ独立戦争とかあの時代の戦争と言えばタチャンカなんだとか。馬車があって、機関銃があって、これを後ろに乗っけてしまえ、という単純な発想の物だが、かなり有効だった。しかしこの頃の発明というわけではなく、もう少し前の時代のドイツの記録にも出てくる。
  • 続き、「アレキサンドリア」関連で、地名について。文中に出てくる地名についてはかなり調べたが、あのあたりの地名は帝政ロシアでつけられた比較的新しい物なので、皇帝などの人名にちなんで付けられることが多い。文中に出てくる都市名などはほとんどそう。「ミハイロフカ」という名前の村などは、この辺り一帯に十も二十もある。
  • 続き、文体と語り手について。(質問の時間に出された、この話の文体はこれまでの作品と違うようだが、というのを受けて)文体は全く語り手に沿った物として書いている。今回は、戦争の語り手として「死者」に語らせる、というのをやった。それも英雄とか勝者とかではなくて、割とどうしようもない底辺にいる者から見た、という話。

 トーク終了後は受付に使っていたテーブルでサイン会となった。私は「ミノタウロス」「バーチウッド」と両方持っていったが、人も多かったので結局「ミノタウロス」のみにサインをお願いする。 ちなみにジュンク堂ではサイン希望者用に「ミノタウロス」と仲俣暁生氏の御本(極西文学論―West way to the worldではなかったかと思う)を受付に用意して販売していたが、「バーチウッド」は用意がなく、希望者は三階の海外文学売り場に走ったのだった。

 ついでに、割とどうでもいい情報。

  • 佐藤亜紀氏はPSPを購入されたとのこと。NintendoDSは持ってないそうだ。世間一般の流行に従うとか従わないとかではなく、単に好みのゲームソフトの問題だそうだ。