マリア様を見てる

 大天使ガブリエルが。
 と、いうわけで仕事の後、上野の東博まで行って来たのだった。レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」と、手稿を元にした研究展示を見に。

東京国立博物館 特別展「レオナルド・ダ・ヴィンチ −天才の実像」《受胎告知》本邦初公開
(同じく、この特別展の東博のページ展示作品一覧あり)

 噂を聞いて覚悟してはいたけど、「受胎告知」前は大変な人だかりだった。その混雑を予想してだろうけど、この絵一枚の展示に、東博本館中央の大広間を丸々使っていた。(なんか2階分吹き抜けの随分立派なお部屋でしたよ。2階部分の壁に手すりの付いた回廊が巡ってるんだけど、ここの金具の装飾なんか、暗がりで遠目に見ても凝っていると思しい)この部屋いっぱいに、ジグザグに絵に向かって降りていくスロープを設置して、待っている間も遠目に絵の方を眺められるようにしてあるのだが、どうしても人は最前列手前だけに詰まるのだった。
 多分待ってても空くことはないだろうな、と思いながら遠目に全体を鑑賞し、それはそれでしばらく堪能した後、意を決して行列に並んだのだった。
 最前列の絵の脇には職員の方がいて、立ち止まらないように注意誘導しているのだが、どうしても皆、牛歩の如くのろのろと進みつつ眺めて行く。待っている他の観覧客諸氏も概してお行儀はいいのだが、何しろ詰まり具合が詰まり具合なので、ストレスはたまる。
 で、肝心の絵はというと、予想よりは小さくコンパクトな感じでしたな。等身大の4割くらいのサイズだろうか。あの時代の板絵にしたら大きい方なんだろうけど。ただ、実際に前に立ってみると、目を惹くのは描写の精緻さと鮮やかさ。実は「受胎告知」って、私にとってはダ・ヴィンチの作品の中では比較的ぱっとしない印象の方で(人物像としては頭の骨格とか、形式的にデフォルメされてないかい? と思うし)マリア像なら後年の習作のデッサンの方がよっぽど惹かれるよな、と思ってたんだけど、目のあたりにしてみると、なんだか見入ってしまう。全体構成も計算されているのだ、とは会場前で流していたビデオでも説明していたけど、あれは工芸品のような細部表現のリアルさが、全体として迫ってくる感じではなかろうか。手前の草むらの花とか、服の襞とか、書見台レリーフとか。この殊更手を掛けて造り込んだような感じは、そういえばフィレンツェで見た伝統の象嵌細工を思わせる。(多分、時代を考えれば逆なのだが。)
 この絵はレオナルドがまだ「親方」の資格を取ったばかりで、自分の独立工房を持たない頃の作品なのだそうで。そんな若手で売り出したばかりの、それだけにまだ確たる評価もなく、なんとか認められ名を上げたいという画家にとって、この仕事はきっと乾坤一擲のチャンス、といったところだろう。それは力も入るだろうなあ。加えて、ルネッサンス華やかなりしこの時代、幾何学的な技法を駆使した遠近法(一焦点透視とか)の採用が流行した、とも聞く。こんなにこんなに高度な技法を盛り込んで、でもこんな調和の取れたものを描けます、というのは、若い職人としては全力のアピールであったろう。並の人間がやったら、それぞれの技巧に囚われすぎて失敗しそうだけど。

 行列の後続を気にして絵の前を離れてから、本館内部を通って平成館へ。――東博本館の展示って、まだ全部見てないな; 面白そうなんだけど。
 平成館の二階へ上がると、正面にまず飛行機械の模型が下げてある。むむー、このサイズでこの材質では飛べないだろう、などとシビアなことを考えるも、こういう造形は見てるとどきどきするね。
 この展示会場にはレオナルドの作品(手稿)の実物もごく一部しかないし、美術作品の「本物」は「伝レオナルド・ダ・ヴィンチ」の「少年キリスト像」(塑像)くらいなんだけども、手稿の科学技術研究の解析が面白い。説明映像も多用してあるし、手の込んだ大型模型もたくさん置いてある。(でも折角展示用に模型を作ったなら、触って動かして見られるのがもっとあったら良かったのにと思う)
 しかし見てまわるうちに、これはレオナルド個人の評価とか歴史的価値とかを除いても、ローテクノロジーの粋の記録として充分凄い物じゃないか、と驚愕。現代の機械工学系の人々にとっては基本的な知識なのかもしれないけど、模型で示された製図用コンパスとか、滑車や歯車の機能とか、今の科学教育を受けてるはずの私にもすぐには理解できない。最先端の科学文明を謳歌しているとか言っても、現代の科学教育は、手探りで進んでいた500年前の技術者にすら及ばないのだ。
 ――それはお前が出来の悪い不真面目な生徒だからだ、というツッコミもありましょう。それも分かっちゃいるんですよう、私も; でも多分、現代の一般的な大人の教養レベルはそんなもんだよね?; レオナルドが素晴らしく賢くて情熱のある技術者だったってだけじゃないよね、このギャップは?;
 ただ、このあまりの内容の濃さ故に、説明文を全部読みながら見るのはまず無理だろう、というのが惜しくもあり。本来はもっとたっぷり時間掛けて見て、ゆっくり理解するべき物かも。
 他にも、ミラノで製造しようとして結局頓挫したという巨大なブロンズ製騎馬立像作成工程の模型とか、「最後の晩餐」の映像による解説に、これに影響を受けた近代の映画作品などを並べた部屋等もあるので、実際ちゃんと見て分かろうとしたらいくら時間があっても足りない感じ。や、ミラノで巨大ブロンズ像製造(高さ7メートルの予定だったそうだから、建設に近いな)を計画しながら中止された話は物の本で読んだけど、実際にあれだけ手を尽くして造形・型取り・鋳造・組み立て等々の工程を準備してたとは知りませんでしたよ。考えてみれば、油圧ポンプも電導クレーンもない時代にそんなもの作ろうとしたら、まずブロンズ鋳造用の大型の炉やら、型や鋳造された本体を動かすための人力/馬力による巻き上げ機なんかがも必要になるわけで。これを全部ローテクでやろうとしたかと思うと、ちょっとくらくらしましたぞ。多分、現代の技術を駆使しても、電力や重機を使わずにやろうとしたら泣きが入るでしょう。
 で、一通り展示を見て思うに。この手稿に記載された技術の展示は、「受胎告知」と別企画にして、科博あたりでやった方が良かったんじゃないだろうか。まあ、多分会場としては平成館が規模からしても丁度良かったんだろうし、私は両方好きだから良かったけど、絵を見に来ただけの人々にあの技術解説は辛いんじゃないだろうか。できれば「受胎告知」展示に、「最後の晩餐」等の絵画解析を加えた「美術」部門と、手稿記載の「技術」部門の二方面を別企画として切り分けた方が、観客としてはすっきりしたんじゃないかと――でもそれだと入場料も下げなきゃならないだろうし、ペイできるほど客が呼べないのかな、もしかして?;
 そんなこんなで酔ったようになりながら、いやでもグッズも物色しなくちゃ、と、閉館時間を気にして会場を出る。売店も色々見たけど、結局購入したのは図版だけ。というのは、展示関連グッズよりも、イタリア製宝飾品や銀細工のお店のショーケースに目が行っちゃうもので。――買わないけどね; や、誘惑はかなりされたけど、甘い誘惑なぞ吹き飛ばすようなお値段で。ええもう、見せて頂くだけで眼福ってもんで。
 Tシャツなんかにはちょっと心惹かれるところはあったけども、現在の手持ちを考えるとそれほど着ないんじゃないか、という気になって、そのまま帰宅する。
 手稿記載技術については、改めて図録で見ることにしよう。