国立科学博物館にて「化け物の文化史展」と日本の科学者技術者展シリーズ第4回「南方熊楠」

 「化け物の文化史」展は来週までだというので、あわてて見に行ったのだった。科博では今特別展として「ミイラと古代エジプト展」もやっているが、この「化け物」と「南方熊楠」は常設展料金で入れるシーズン企画。
 まあ、人魚の干物とか(どっちかってと干物の人魚だが)カッパの手とか、『本草綱目』や『山海経』なんかあって楽しかったんですが、なにせ会場が狭い割に人が多くて。展示品が小さくて説明文が細かいせいもあったかな。とはいえ、あれだけ多方面の協力が得られるなら、もっと色々充実した展示にすることもできたんじゃ、と思ってしまうけど。
 それでも第二会場までちゃんと回り(第二会場は主に妖怪研究者関連の展示ね)、折角だから化け物つながりでちゃんと南方熊楠展に移動したところ、こちらの方がずっと空いていてほっとしたのだった。
 うむ、熊楠が偉大な研究者/文学者で天衣無縫な自由人であったらしいことはよくわかったけども、学問というのはやっぱり、他人に分かる形で残さなきゃだめなんだなあと感じる事しきり。おそらく熊楠も周囲の多くの人との関わりがなかったら、熊野の奥地で好き勝手に生きて、当人は幸せかもしれないが何も残さない人生を終えた事だろう、と。独学でもずっと研究を続ける情熱は尊敬すべきだけども、特に科学だと、独学って独りよがりな思い込みに入り込んじゃったり、自分が納得したところで止めちゃって、発見や労作が誰にも伝わらなくても満足してしまうという罠があるんじゃないかとね。
 だって、熊楠宅に残されていたという昆虫標本(元々ごく微細な虫だったとは思しいが)も藻類のプレパラートも「これがその実物」として展示されていたけど、ほとんど朽ち崩れてナニがナニやら、という状態になってましたもん。熊楠個人を示す資料とはいえ、科学的には既に意味のない代物と化している。実は熊楠って、標本作っても保存には気を配ってなかったんじゃなかろうか。
 現代、私たちが熊楠の名前を知っているのも、仕事をちゃんと発表するように後押ししたり、食えない間の生活や研究資材・発表準備の費用などを援助してくれたり、または変形菌類に興味を持った昭和天皇との間を取り持って献上する標本を作らせたりしてくれた人々が居たおかげなんだろね。その方々がいなければ熊楠は、きっと熊野で「変なおじさん」として近所の人に知られるのみで一生を終えたでありましょう。
 それが良かったのか悪かったのか。まあ、後世の人間が見聞きするには非常にドラマティックですけどもね。
 さて、ここまで館内を結構歩いたにも関わらず、折角来たんだから、と2階3階の常設展示にも回ってみる。と、おおお、これが噂の動物剥製群か! と、圧倒される。いや、結構なものでございます。ラクダとかカリブーとかが威風堂々とアクリル壁の向こうから見下ろしている図なんぞ、なかなか見られるもんじゃございません。
 さらに1階に戻って、生物進化の歴史を見せるというコーナーにくらくらする。おもしろいわこれは。その気になれば丸一日だって数日だって遊べそう。でも今日は散々歩いて、もうあんまり体力がないのだ。ふらふらと流し見て裏手に至ると、「ミイラと古代エジプト展」の会場外展示とグッズ売り場があったので、それをみてミイラ展は見たような気分になることにする。いやミイラはともかく彫像とか宝飾品とかは気になるんですけどね、凄い人気らしいんで。
 とりあえずここで海洋堂謹製「大英博物館」のシリーズから、猫の像バステト女神だけ購入する。(うーん、このサイト見ると、スカラベのペンダントなんかもいいですな)
 あと、折角だからグッズ売り場も流し見る。結局購入はしなかったのだが、こういう博物館の売店には色々と面白い物がありますな。実はここで売られていたこれが気になっていたりするのだ。