Bunkamuraミュージアムにてエルミタージュ美術館秘蔵「エミール・ガレとドーム兄弟展」二回目に行く

 相変わらず暑かったけれども、一念発起して外に出る。週末二日とも家の中に籠もってると週明けに体力および運動機能が衰えていて大変なんである。(情けないが、ほんと;)
 で、来週までだというので再び東急Bunkamuraへ。というのも、幸いにしてお友達から招待券を頂いたのだった。大変ありがたいことである。このご恩はいずれ何かで。
 Bunkamuraミュージアムは前回よりやや人が多い感じだったが混み合うというほどでもなく。まあ今回の展示は会場の広さの割には点数は少な目で、ケースの間もゆったり取ってありましたからね。一部には「展示品数が少ない!」という声もあったようだけども、あれはあれでいいんじゃないかな。変に混み合うよりも。
 二回目を見て。これはガレの美術工芸品をみるというよりも、ロシア皇室/貴族達のあの時代の高級日用品から生活を見るための展示だったんじゃないかという印象が強くなってきましたね。確かに綺麗なものだけれども、目玉のガレによるロシア皇室への献上品類は別格として、その他はかなり使い込まれている。芸術品である以前に生活雑貨だったんである。
 そうしてみると、アール・ヌーヴォーの芸術性を求める人々には物足りなかったかもしれないと思うこと。私は歴史とか民俗学(に、なるのか? これからなるのか)からのデザイン史なんてのにも興味があることだから楽しかったのだが。でももしかするとこれは、前の晩のR30村上隆が言っていたところの、「アートにまつわる物語を消費する」というやつなのかな、などとも思ったり。(まあ確かに、純粋に視覚表現そのものだけを鑑賞してるわけじゃなかったりするわなあ、なにかと;)
 さて展示品観賞後は、出口前にある売店で、ルーマニア製だという「ガレタイプ」なる複製ガラス器も眺め回す。やっぱり何か違うという気がするんだな。ポストガレより更に何か間違ってる。(実は展示品のポストガレでも、献上品になるほどの芸術品ではないにしても、なんだか好感の持てる品はいくつかあったのだった。ガレ工房の労作か、私の目のせいかはわからないけど)売店の方の話によると、ガレ工房解散後に工房にいた東欧人の職人が国に帰って作り続けていた技術がそのまま残っているのだ、ということなのだけど、それでどうしてあんなになっちゃうのやというのが不思議。(今回の展示の説明にあったけども、ガレの死後、熟練の要るグラヴュール加工に手間と予算を掛けられなくなったため、安価なエッチング加工のみで仕上げるようになったという事情はあったらしい。現代の「ガレタイプ」も熟練工や手間を掛ける余裕が足りないのか?)
 隣の棚には、北澤美術館で販売してるという「ガレ風」の現代サンドブラスト工法作家の作品が並んでいたけれども、こっちの方がまだしも好印象。頒布用量産品にしても、こっちの方を現代の作家名を出して独自ブランドとして売ればいいのに、という気もしたのだった。
 その後一階のラウンジで、ガレ展記念割引のオレンジ/パッションフルーツシャーベットなぞ食して帰宅する。これも何をどうしたのか大変美味だったのだった。