「時をかける少女」を見る

 評判が良いのでこれは、と思って見に行った。調べてみたら単館上映だし、いつまでやってるか書いてないし、うかうかしてると終わっちゃうかも、と。
 が。映画館に行ってみるとものすごい盛況で、最終回開始30分前にも関わらず既に立ち見になっていた! くそー、なんで単館なのや、これだけ人気なら全国ロードショーにしろー! と。(後で公式ブログ見たら上映館は増えたらしい; ちっ、慌てて行くこともなかったか?;)
 でも見る。チケット/整理券入手してから、ちょっとジュース買いに出て戻ってみたけど、離れる前と状況は何も変わっていなかった。余計人は増えている。(ヲタク系というか、地味目の学生さんだか自営業だかの感じの人が多いかな。女の子も多かったけど)まあ整理券の番号順に入場するので、立ち見に違いはないのだが。
 入ってみると入り口脇に座布団が用意してあって、立ち見と言っても通路に座り見であった。やれやれ。
 映画は、大変良かったですよ。キャラクターはよく動くし、背景は美しいし(夏空とか河原とか、畜生あざといぜ!とか思いながらツボ)ストーリーは切ないし。ああ、こういうのを見たかったのよ私は〜、と思うくらい。
 筒井康隆著の原作を踏まえたオリジナルとは聞いていたけども、見終わってみると「ああなるほど、『時をかける少女』ってこういう話だったわ」と納得。大まかなプロットは確かに同じだけども、2006年の女子高校生を主人公に据えることで全体が再構築されている。この、ヒロインの豪快さがなんとも。いくらキャラクターデザイン:貞本義行による絵柄とはいえ、あれだけ顔を崩してみせるヒロインはなかなかいないだろう。それに、画面に出てこないけど、ほんとにああいう動作をしたら絶対ぱんつ見えるって。(あ、今時の女子高生はスカートの下にスパッツとか履いてるからいいのか?)
 まあ、原作の昭和40年代の女の子だったら、あのタイムリープ法には怯むでしょうなあ。毎回高速で転がって来ては、どこかに激突して止まってるし。21世紀の女の子は擦り傷打ち身もものともせず行動している。大股で走るし、大口開けて笑うし、顔を歪めてがんがん泣く。色気とはまるで縁遠いけども(だから正直言ってあんあまりラブ・ストーリーって感じはしない)大変爽快ではある。
 しかも風景が。パンフによると東京都内各所でロケハンしてつなぎ合わせたそうだけども、私は博物館のところで仰天しましたよ。東博じゃん!(東京国立博物館)中央階段の手すりとか、アール・ヌーヴォー調のランプシェードまで描いてあるよ! すると、あのあと出てくるスクランブル交差点の人混みは、上野駅前!?
 ――いや、それまであんまり東京の話だと思ってなかったんで。坂道のある町は、有名な前作品の舞台が尾道だったのに倣ったのかと。しかし確かに、東京にもああいう風景はありますからなあ。あの踏切で終わる坂道や、遠くに高架道の見える河原等とは互いに繋がらないとしても。
 そういうわけで大変堪能したのだけど、堪能しただけに気になった所を挙げてみよう。なに、このくらいでこの作品全体が損なわれるものではない。

  • ネタを割るので誰とは書かないが、「彼」の声はもっとこなれた声優さんを当てた方が良かったと思う。別れる前の、身の上話とかのあのモノローグがあることを考えれば、せめてもうちょっと滑舌のいい人に。
  • 細かいことだけど、これから登校する主人公に下校途中に届けて欲しいと預ける物としては、生の桃(しかも多分水蜜桃)はあまりに危険。だってあの移動の仕方だし。季節は夏だし。ほんとにああやって預けたら、おばさんの手に届くまでに全面茶色で汁まみれになって酸っぱい匂いさせてることだろう。シナリオスタッフに家事労働の生活感のある人はいなかったのだろうか。
  • 上と同様だけども、7月の暑い盛りに筑前煮をつくる主婦ってあんまりいない。とりあえず私だったら御免被る。煮炊きすること自体やだし、どう考えてもあれは冬場に美味しい料理だ。それとも、お裾分けかなんかだろうか? だとしたら誰がわざわざ夏場にお裾分けするほど筑前煮を?

 しかしこう細かいことが気になるのも、多分非常に気に入ったからであろう。「ダ・ヴィンチ・コード」もそれなりに良かったと思ったけど、これと比べてしまうと味わいが足りないという気がして来ちゃうんだな。予算も評判も桁違いの筈なのに。何故だろう。洋画だから、というせいもあるのか?