東京国立博物館・平成館にて「若冲と江戸絵画」展

 そういうわけで出掛けてきたのだった。
 家を出るときは降っていなかったので気楽に出掛けたら、上野に降りるとぱらぱら降り始めていて、上野公園を移動するのにちょっと難儀だしたのだった。東博は意外に駅から遠いのだ。実は鶯谷の方が近いという話もある。
 評判がいいので入場制限があったりしないか、と心配したけども、幸いそこまではしていなかった。ただしそこそこ混んでるのは確かで、皆が硝子に貼り付いて細かいところを眺めたがるので、そこそこ忍耐は必要なのだった。
 ま、絵はよろしかったですよ。若冲および江戸後期の京都の絵はなかなか華やかですな。墨絵でも構図が大胆だったりする。
 一番人気はやはり若冲で、で絵はがきを挙げた紫陽花双鶏図と鳥獣花木図屏風あたりにはずっと人が群がってました。特に鳥獣花木図屏風。特異な描き方をしてるせいもあるけど、動物自体もかなりデフォルメというか模式化してあってカラフルで、絵本みたいなんですなあ。下の方にもところ狭しと小動物が描かれてるんだけども、前の人が動かないのでなかなか見られないのだった。前に寝っ転がってぼーっと眺めたらさぞ楽しかろうと思うような絵なんだけども。こんな絵を風呂場のタイル画にしてるというプライス氏がまことに羨ましいことです。(お金持ちっていいなあ。持ちすぎても大変なんだろうけども)最後の方には屏風絵や掛け軸をライティングの変化を見せるという展示コーナーも設けてあって、これもこれで楽しかったのだった。
 ただね。一渡り見終わったら、どうも個人的には前に見た応挙や北斎の絵が頭に浮かんで、比較してしまうのですな。個人的な好みではあろうけど、若冲の華やかさ、楽しさも、比べたらあれほどの面白さではないんじゃないかな、などと。(ちなみに今回の展示には応挙もあるけども、ごくわずか。「赤壁図」と「懸崖飛泉図屏風」か。ただし長沢芦雪など円山派の弟子達の作品が多いですな)
 おそらく北斎まで行くと、動植物に関してはデフォルメが過ぎてプライス氏の趣味から外れたのだろうけど(か、あるいは有名すぎて手に入らなかったか)、なんというか記憶に食い込む鮮やかさなんですな。例えば鶏なんか、確かに若冲の鶏の方が華やかで威厳があるのだが、北斎の軍鶏となるとこれはほとんど生身の日常的な生物ではなくて、大型爬虫類の何かとの禁断の交配の裔であるかのような恐ろしげな容貌になっている。
 一方応挙はというと、こちらは恐ろしげな迫力はないんだけど(かの有名な幽霊画でさえ、実物はむしろ哀しげで、怖くはないのだった)、動物や人物などには独特の愛嬌がある気がするね。例えば、芦雪の白象黒牛図屏風など見ると、ここには応挙風の子犬が描かれているのだけど、応挙が自分の名を冠した仔狗図の「うひゃー」という愛らしさには及ばない気がする。(参考:高野山真言宗亀居山大乗寺 円山派デジタルミュージアム牡丹孔雀図屏風の孔雀にしてもそう。応挙展の図録出して比べてみたら、やっぱり応挙の方が孔雀の方がふかふかむちむちしている。
 ――要するにこれは、「萌え」なのかもしれん。若冲はおそろしく生真面目な画人であったというし、一方芦雪は四十代で亡くなっている。遠近法だの写生だのあの時代としては色々妙なことを試みつつ、それが受け入れられて慕われて成功した応挙に比べたら、若冲や芦雪はまだまだ「絵に遊びが足りない」という気がするのだね。
 まあ、勝手な感想だけども。それに応挙はだいぶ弟子にも描かせて自分の名前を入れてたそうだから、芦雪あたりがかなり手を入れたものでも上手く描けてたら「応挙」の名で出てることもあるのかもしれないけど。現代の漫画家のアシスタント制のようなものかな?

 さて、東博平成館の広い広い会場を行きつ戻りつ回り、売店も一通り見渡して、まだ閉館時間までちょっとあるというので本館へ回ってミュージアムショップを覗いてから帰ったのだが、案の定というか、欲張って歩きすぎて足が痛くなったのだった。しかも出たら外は来たときより激しい雨だったのだった。上野駅までたどり着くもなかなか一服できる飲食店の類は見あたらず、結局一階まで降りるまでふやけた足で歩きずくめだったのだった。
 でも毎回こんなに欲張って回っているのに、まだ東博の二階に足を踏み入れたことがないんだな。だいたい毎回一階で力つきるか時間切れになるもので。中世〜近世の美術工芸品の類は二階にあるはずなんだが。そういうわけで応挙の子犬の板絵も、東博にあることは知っているけどまだ実物を見たことがないのだ;