奇妙なできごと

 朝、出勤の身支度をしていたら、玄関からがたがたと妙な物音がした。
 何事、と思い行ってみると、どうやら外からドアを開けようとしてノブを揺すっているらしい。でもドアには鍵もチェーンも掛かっているので当然開かない。
 隣か上の階の子供でも迷い込んで悪戯してるかいな、と開けてみると、幼児を連れた、同年輩くらいの女性がいた。
 えーと、上の階の人のような気がするけども、定かではない。あんまり顔を合わせたことがないし(住民の会にはご主人が出るし)割とありふれた地味な容貌だったので。(私も人のことは言えんのだが;)
 なんでしょう、と困惑しながらも穏やかに聞くと、先方も困惑の面もちで「この鍵が落ちてたので――」と手に持った鍵を見せた。これでドアを開けようとしていたらしい。
 でもちょっと待てよ、落ちてた鍵を拾ったら、それでドアを開けようとするんかい。そういう気持ちになるのも分からいではないけど、ほんとに開けたらそらちょっと色々拙くないかい?
 で、その鍵というのを見ると、部屋番号と名字の書かれたタグがついている。うちの一階上の番号だ。
 階をお間違えですよ、と言ったところ、女性は慌てて、「やだ、酔っぱらっちゃったみたい」と言いながら去っていった。
 朝の7時台なんですけど。それに正直言って、その人の顔色も匂いも、酒を飲んでいるようには全然見えなかったのだが。(まあそういう体質の人もいるけどさ)
 なんだか腑に落ちない感じはしたが、その後新聞を取りに出たところで、はたと気が付いた。
 あれが拾った鍵だとすると、うちの後に、そのまま上の階の家へ行って、再度玄関で鍵を試してみるんじゃなかろうか? 
 なんか余計なことしてるか、と思いつつも、一階上に行って、インターホンを押してみた。ややあって、女性の声で応答が。
「うそでしょう!」
 あんまり、インターホンへの第一声にする言葉ではない。
 首を捻りつつも、下の部屋の者ですが、といって先程の鍵の事を話すと、混乱した様子ながらも答えがあった。鍵逆さまになっちゃってて。ちょっと酔っぱらっちゃってて。いやアル中じゃないんですけど、昨夜の大喧嘩聞こえませんでしたか。
 幸い床はしっかり出来ているらしく、上下階の物音はほとんど聞こえないのだった。聞こえていたら納得できるような事情が分かったのかなあ、と思ったけれども、どうやらその声は先程の女性のもののようだったので、上の階の人が間違えただけだろう、と考えて部屋に戻り、出勤したのだった。
 後になって考えると、あの時インターホンに出たのがうちの玄関を開けようとした女性だったとしても、それが上の部屋への不法侵入中でないという証拠には全然ならないのだった。
 まあ、見たことのあるひとのような気がするので、多分上の階の住人が何かとんでもなく混乱しただけだろうとは思うのだが。
 ――ただその、あれがほんとに飲酒のせいか、あるいは何か神経疾患かだとしても普通にあり得ることとは思うけども、あの小さいお子さんはあのお母さん(多分。でもそうだという確証は何もないな)と二人っきりで家にいるんだよな、と思うと、ちょっと不安な気も。