巨匠 デ・キリコ展

 閉館間近の時間帯になると値引きされるのではないか、という情報があったので夜に行ったのだが、実際はそんなことはなかったのだった。まあ元々そんなに高くないし、見合うだけの展示があったからいいのだが。
 今回来ている作品は晩年のものが多いようだった。(ただ、どうもキャプションについている年代が実際の作成年とずれているふしがあるので正確なところはわからなかったりする)若い頃の立体の面を密に塗り込んだような画風から一転し、晩年には黒のアウトラインの中を荒いタッチを残したままの感じで塗るという、ちょっとほのぼのしたイラストレーション調の画面に変わって来ているので、一枚だけ見ると、何か冗談かとりとめもない気の迷いか、というように見える。ただ続けて見て行くと、なんというか不条理さにも一貫した確信犯らしいところが窺えてきたりして。
 それらの間の時期の作品だと思うのだが、別にシュールでもない普通の作品も何点かあった。タッチとしては印象派に近いかと思うのだが、騎馬戦闘図とか、裸婦像(ニンフ)とか。それから、金属製の彫刻作品も何点か来ていた。あの顔のないラグビーボール状の頭部の群像がメタリックに輝いているところはなかなか面白いですな。
 しかし、作品の間の所々に配された「形而上」に関するキャプションは、一通り読んだけどもあんまり分からなかった。これは私にそういうものを考える素養がかけているのか、それとも単に哲学的な知識が欠けているせいか。「形而上」という言葉の字義通りの概念だけではついていけない感じなのだが、そういうことは言語に変換することにどれほどの意味があるのか、という気も(偉そうにというか逆上と言うか)するのだった。
 まあわかんなくても、絵は楽しんだから、いいけど。