東京国立博物館にて開山無相大師六五〇年遠諱記念 特別展「妙心寺」を見る

 随分前に券は買ってあったのだが、来週末までというところになってやっと見に行ってきたのだった。
 でもね、不覚であったことには、この展示は大変前半と後半などの会期による展示品の入れ替えが多いんである。チケットやポスターに出ている目玉の一つ、狩野山楽筆「龍虎図屏風」は、既になかったんである。よよよよよよ。
 替わりにと言うか、これもチケット等に並べて出ている海北友松筆「花卉図屏風」は堪能してきましたけどさ。

 妙心寺臨済宗のお寺であるから、禅寺である。なんで前半はほとんどが書や仏具や住持らの肖像画などで、美術品としてはかなり地味な構成になっている。
 ただその間にも時々とんでもないものがあるもので。螺鈿の4枚組の板戸とか、後の方には二枚組の螺鈿の衝立なんてのがある。板戸の方は鎌倉後期だか室町初期あたり、衝立の方は江戸時代の作なんだが。これが、主要な意匠の部分には、地の漆の方が少ないくらいに貝が犇めいてるんですぜ。もうね、アホか、バカかと。何を考えてこんな馬鹿馬鹿しく手間と金の掛かる代物をこしらえたかと。いや、確かにものすごい宝物には違いないんだけども、もう「みっしりと鮑貝の虹色をしきつめる」ことを目的にしたような細工なんで、絵になってはいるけど絵として美しいかとか洗練されてるかとかは二の次って感じで。
 江戸時代の方はまだいい。青貝の細工の工房から寄進された、という話なので、この時代だと貝を集めるとかだいたい質の揃った漆を手に入れるとかいうのも生産・加工・流通システムができてたと思しいし。しかし鎌倉とか室町とかになるとそうはいかなかったんじゃないかと。(それともあれは大陸からの舶来品だったかな?)
 で、室町あたりまでは、住持の正式な袈裟あたりを除けば、美術工芸品も比較的地味に渋めな意匠なんだけども、安土桃山になるとかなり様変わりする。各地の妙心寺派の禅寺に、武田信玄徳川家康などをはじめとする武将の帰依を受ける、ということがあって、各地の塔頭なるものも増えて文化的にも潤ってくるんですな。その最たるものが妙心寺で行われた、豊臣秀吉の3歳で亡くなった息子・棄丸の葬儀で、妙心寺には秀吉が遅くに出来た跡継ぎのために作った品々が残されていたりする。車が付いていて、上に乗って引き回してもらう船の玩具(といっても1メーター半くらいはある)とか、子供の体型に合わせた玩具の鎧兜(紙か革に金箔や布張り・彩色を施したものらしい)とか、生まれたときに送られた守り刀とか。
 で、前半の禅宗美術(というか書の方が多かった)をゆっくり見ていたら、残り時間少なくなってから終盤に来て、金屏風やら塗り物やらが大量にあったもので地団駄を踏む。ああっ、こっち先に見とくべきだったかっ!
 ともあれ海北友松の屏風絵とか襖絵の龍とか色々眺めて、後ろ髪を引かれつつも図録を買って出る。この図録が。2400円のソフトカバーなんだが、ずっしりと自立できそうな厚さで。
 こういうものはたまるんだよね、と分かっちゃいるけど買ってしまう。他であんまり買えないって思うと、ついね; それに今回は、前期だけ出てて展示替えで見られなかった物も多いし。(後で見たら、鳥獣等を描いた絵画も沢山あったらしいのだ。しばらく地団駄。)
 まあ、いくつか見られただけ良しとしよう。そうしよう。