明治大学にて佐藤亜紀氏商学部特別講義第5回を聞く

 今年度の最終回。来年度もあるらしいのだが。(さすがにもう公言していいらしい。)
 今回の講義では、話はそっちこっちに飛んだような気もするが、基本的な線はありつつ脱線すると言う感じか。まあ脱線が愉しいからいいのだが。
 途中、ノートをとっていた筆記具に不具合が出るというアクシデントのため、中盤以降はちゃんと記録できなかったのだが、取り上げられた話題としてはこんな感じ。

  • 小学校の時の体験から、いじめの構造について。と、後に原武史著『滝山コミューン一九七四』を読んで小学生当時の教師側の背景構造について大いに得心しかつ「小学生を『闘争のために組織化』してどうするよ!」と憤慨した、という話。新潟という土地は特に日教組が強くて、高校の同級生では「小学校の時1年間先生が授業をやらなかった。文部省の『主任制』への反対闘争のために」というひとも居たとのこと。
  • 水村美苗『日本語が亡びるとき』を読んで、同意する点としかねる点について。水村美苗氏については、米国留学などの経歴を見るにもっと立派な仕事ができそうに思われるのに、作品を見るとどうも首を捻るところがある。「なめとんのか」と。*1英語の時代である、英語ができないと議論するにも不自由するので、世界共通言語として必要になっている、という流れについては同意するものの、それではドイツあたりで一生懸命「らき☆すた」なんかの台詞を起こしてる青年の存在はどうなるのか、ということから、「叡智の言葉」とまで呼ぶのはどうよ、ということ、また「国語」および、更に実際に使われている言葉に近い「現地語」の存在を重視すべきでは、とのこと。で、「現地語」というのは、現代で言うなら2ちゃん語等のネットスラングなども含めて。(ただし使って出版する頃には周回遅れみたいになってることもままあるようだが)
  • 英語および英語による情報を重視するのはどうよ、と考える要因の一つとして。某英国人作家の作品(聞いたけどメモしそびれた。サマセット・モーム賞受賞作、とのこと。後日付記:どうやら「ジョン・ランプリエールの辞書」だったらしい)の評判を聞いて、和訳が出たので買って読んでみたが、どうもぴんとこない。何か変だな、と思っていたら後で出版のいきさつを知った。それは米国版からの和訳で、その作家の本が米国で出版されるのはこの作品が初めてだったのだそうだが、(勿論元の英国版も英語で書かれてるんである)米国版を出すにあたって米国の出版エージェントから大幅な加筆訂正を指示され、さらに今後他の国でこの作品を出版するにあたっては米国版を底本とすること、という契約になっていた、とのこと。だからこの作品の真価は元の英国版を読まなければ分からないのではないか、と。斯様に米国を経由してくると、情報や著作はおかしなことになるという面がある。以前Newsweekを購読していたとき、記事の定番の書き方して「米国国内の状況にこのようにおかしな事がある、なんとか是正すべきだ」という本文と、最後の方に必ず「この同様のことについてフランスでは(イギリス、ドイツ、イタリア、アジアのどこかでもいいわけだが)もっとこんなに変なことになっている」という記述が差し挟まれる構成になっているのに気付いて、大いに納得して膝を打ち、以後Newsweekを買うのはやめた、とのこと。
  • 「歴史」の概念について、三形態のおさらい。まず1.実際に過去に起こったこと、そのものの総体、2.1について適宜文脈に沿って切り出して、これを編集して整えたもの(著作物と言って良いか)、3.2の切り出し方、解釈のしかた・語り方、編集の仕方に一定のお作法を適用した、学術的な扱い(に限定したもの)における「歴史」。で、一般に「歴史」という言葉が使われる際には、どうも1〜3がごっちゃになって扱われている様子だということ。元々1の「起こったこと」には、主義主張や政治的な意図もかくあるべき正しいやり方も関係ないと思しいが、そういう意味づけは後の記述で加えられていく。(元々は「正史」なるものはない、それは後から整えて作られる。また「『歴史』は浪漫ではない」。そこに浪漫を見てしまう人は多いようだが)
  • ちょっとだけブローデル著『地中海』の話もする。政治的・宗教的な偏りから離れたところから「地中海」世界を評価して、結局の所「地中海世界は昔っからあんまり変わってない」というところへ着陸するらしい。ブローデルは最後の方でフェリペ2世の死の下りで、かなり抑えてはいるが確実に萌えている。(爆!)

 講義の後、神保町方面でしばらくお茶などしてから、お茶の水のイタリア料理屋での宴会へ移動。途中、底値のソイジョイ*2を見つけて買い込む。

*1:「いや、水村氏は手を抜いているわけではなく、女性としてかわいらしく見えるところを狙わずにはいられない呪縛があるのだろう」とは、同じく講義を聞いた友人の弁

*2:ちなみに十本で\880!