日本禁煙学会なる団体

 既に方々で話題になってるようですが、日本禁煙学会が、映画「スカイ・クロラ」の喫煙描写について質問状を出したそうで。

映画「スカイ・クロラ」の喫煙シーンについての質問状を送付しました(2008/8/10)
→質問状はこちら(PDFファイル115KB)

 私も非喫煙者だし、無神経な喫煙者には腹が立つことも多く「誰に許し貰って公共の場でそういう真似をしとるのやこの生きてる傍迷惑があ!!」と煮えたぎることもままありますけども。
 こういうことする団体が、禁煙運動の代表者だってことになってるのはとても不愉快ですな。
 だいたいこの質問状を送った方達は、「スカイ・クロラ」を見たんだろうか。見た上で、あの話の設定やら描写の意味やらが理解できなかった、ということを世間に披瀝したいと思った訳なのだろうか。
 まがりなりにも社会的な活動をするなら、活動の対象やら方向性やらはちゃんと検討してほしいですよ。非喫煙者/禁煙・分煙運動に関わる人間が、みんなこんなふうに無神経だったり傍若無人だったりする輩だ、と一括りにされては堪らない。とりあえず私は一緒にされたくないです。
 私にとってはこの質問状は、路上喫煙して火のついたタバコを振り回す輩と同じくらい無神経に見えますね。架空世界の描写に対して、脳内で勝手に仮想敵に仕立てて、一方的に盛り上がって吠え立ててる、という輩じゃないか、と。
 確かに「スカイ・クロラ」には背徳的/頽廃的な描写が多々あるけど、そういうものもないとつまんないですよ、フィクションてやつは。 むしろこういう狭量な活動には、表現の自由の保持を求めて反論した方がいいんじゃないかと思いますけどね。

 で。
 質問状を送られたプロダクションI.G.の関係者の方々がどのように対応されるかは分かりませんが。
 ものすごいお節介とは思いながらも、この質問状にわたしなりに回答してみようかと。
(当然これは私が「スカイ・クロラ」を見ての勝手な解釈なので、本作品の監督もしくは製作担当者の意図とは全く異なる可能性があります)

1.制作関係者の方は、タバコに関する国際的な動向をご存知の上でこの映画・アニメを制作されたのでしょうか
2.喫煙シーンはこの作品になくてはならない、というものではないと思われますが、なぜこれほど多くの喫煙シーンを取り入れているのでしょうか?

 近年の公共の場での禁煙や子供の喫煙制圧といった状況は十分理解した上で、ドラマの表現上必要であったと考えられます(と、解釈できます)。

 個人的な見解を加えるなら、喫煙以外の小道具でキルドレの閉塞感・頽廃を表現しようとしたら、どうにもうまくいかなくて失敗するか、またはもっと痛ましい表現になってしまうんじゃないでしょうかね。例えばドラッグとか、自傷行為とか、アルコールまたはセックスへの依存とか。
 酒を飲むシーンはあるけど、動作としては「飲む」だけだから、ぱっと見た目にはそれほど頽廃的に見えないような。

3.このような若者の喫煙シーンの多様は、観客の子ども・未成年者、若者の喫煙流行を勧めかねないし(以下略)これら世代に対する影響の大きさと責務をどうお考えでしょうか?
4.禁煙環境が激増し、かつ子供・未成年者の喫煙防止の徹底を進めている国際的・国内外の動きがあることから、近未来に、若者の喫煙シーンは非現実的の設定のように考えますが(以下略)

 作中では確かに自らを「こども」と呼び、少年の容姿を持った登場人物達が喫煙していますが、作中に表現されているように、彼等「キルドレ」は本当の少年ではありません。年齢はいずれも特定されませんが、草薙水素の場合は10歳前後の娘がいますので、二十歳以下ではないことは明らかです。そのような人物達の動作が、必ずしも未成年者や若者の流行に影響するとは考えていません。
 また、作中で主人公達は飲酒や買春も行っており、いずれも未成年/若者には推奨されざる行為ですが、それぞれの行為は本作の物語を構成する重要な要素であり、また現実の子ども達・青年達のそのような行為を勧める意図で描かれたものではありません。
 そもこのドラマは近未来ではなく、十九世紀前後以降から私達の知る歴史とは違う歴史を辿った異世界を舞台としており(例えば、電子機器の技術も発達しておらず携帯電話やインターネットもない。生活文化としてはむしろ1970年代以前の世界に近いように見えます)、ショーとしての終わらない戦争が行われていることなど、様々な点に於いて「非現実的」な面を持っています。そのような、私達の知る「現実」とは異なる状況に置かれた主人公達の、子供に見えても子供ではない、という部分を示す小道具として、煙草は必要と考えます。
 ただし、作中の喫煙シーンが未成年者など喫煙流行を生む危険性があると指摘されるならば、本作品鑑賞の年齢制限を引き上げることも検討されるべきかと考えます。

 実際、学童に見せるのはどうかとは思うのよ。淡々とした描写ではあるけど、酒飲んでるし、女買ってるし、銃は向けるしノーヘルでバイク乗ったりしてるし。
 とはいえ、いずれもあんまり愉しそうじゃないから、見たからって真似したくなるような気はしないけど。
#だいたい、子どもとか未成年達にとってこの映画は、見てそんなに面白いもんだろうか? 成人するまで見るのを我慢しても、何も悪いことはないような気もするんだけど。まあ散々焦らされてやっと見たら「なーんだ」かもしらんが;

5.ベネチアでは、喫煙に対する態度をどう説明されますか? そして、ハリウッド映画や海外の映画・アニメ・TVドラマでは、喫煙シーンをカットする動きが広がっていますが、子ども・未成年者の保護と健全育成のために、必要不可欠とご理解いただけますでしょうか?
6.次回の作品では喫煙シーンを排除しますか?

 禁煙運動に賛成する者としても、映画やドラマ作品から喫煙描写を排除する行為が子ども・未成年者の保護と健全育成のために有効たという考えには賛同できかねます。実際、喫煙習慣は現代の社会にも残っていますし、喫煙行為をドラマ表現から完全に排除することもまた現実的ではなく、禁煙活動を狭量で偏向したものにする危険すらあるのではないでしょうか。
 未成年の喫煙や、公共の場での周囲の影響を考えない喫煙、制限のない習慣的な喫煙は止めさせるべき悪習ですが、禁煙運動の目的は喫煙習慣の完全な禁止・排除ではないはずです。
 本作品においても、喫煙は何らかの幸福をもたらす快い行為としては描かれていません。(と見えました、一鑑賞者には。)
 表現の解釈(暗喩と思しいもの)についてわざわざ述べるというのも無粋ではありますが、言ってしまえば、作中の人物達にとっての喫煙は、先の見えない戦争に従事し同じ事を繰り返す閉塞した「キルドレ」達の、穏やかな自傷行為でしょう。(と、私は解釈しました。)
 作中で、主人公の言葉として、「明日死ぬかも知れないのに、大人になる必要なんてあるんでしょうか」という台詞が出てきます。喫煙の害は、主に健康への悪影響ですが、本作品に登場する戦闘機パイロット達は、この先の健康の維持など考えるのも馬鹿馬鹿しいほど、未来のない生を生きています。「煙草を吸わない上司は信用しない」という主人公の台詞からは、自分と同じ閉塞感を共有している、健康で長生きする未来など信じない人物でなければ、戦闘機乗りとして運命を託せない、という感情が見て取れます。

 勿論、このような行為や考え方は、子ども達・若者達に推奨されるべきことではありません。
 しかし、そのように、密かに穏やかに虐げられている状況で、何気ない風で暮らしながらも閉塞感と絶望を抱えながらも、それでも生きているということこそが、本作品の描こうとしたものです。

 ――と、一鑑賞者は勝手に考える、けども、社会的な団体であるアニメ製作会社は、こんな回答を返せるわけもないわな;
 まあ、こんな喫煙表現を一つ一つ吊し上げて潰してくなんて行為が、禁煙/分煙運動にとって何か有益だとは全然思えない、というのが私の偽らざる本音ですが。そんな狭苦しいとこに拘泥してると、「健康への害を避ける/抑制する」という当初の目的を見失いそうで心配なんですけどね。