「ダークナイト」を見る

 封切りは来週の筈だが、前の週に先行上映があるんで見に行った。(そう言うときの封切り日って何?;)バットマンシリーズに特に興味はなかったけども、アクション映画だし、ヒース・レジャー遺作だし。全米の興行収入を塗り替える勢いとか言う評判だし。(全米も忙しいの。)
 で、映画。
 ええ。ああ。酷い話でしたよ。
 いや、酷い話をきっちり書いているので良かったのではないかと。こういうのが造られて売れるというなら、ハリウッドは日本のメディアが紋切り型っぽく捉えている「ハリウッド映画」が当てはまらないくらい、ほんとに懐の広いとこになってるんじゃないかと。んでそれがちゃんとヒットを続けてるというなら、米国消費者もここに描かれる複雑な状態や矛盾をちゃんと味わって許容してるということじゃないかと。それはちょっとほっとすることですけどもね。例えば、いわゆる痛快な「ハリウッド映画」の展開だと、悪い奴がいて大切な人や弱い者を傷つけたり殺したりして、正義の味方が悪い奴にきっちり引導渡して爽やかな終幕、となりそうなとこだけど、「ダークナイト」では「正義の味方が人殺しになってはいかん、それは悪に染まることだ」という縛りがあって、それが当然であるという流れで全てが描かれるあたりが。(あれは特に「警官殺し」だからかなあ。例え腐敗警官であっても、それを殺したら悪人だ、ということか)
 長尺の上に激しいアクションと緊迫した展開が続くもので、正直言って、後半〜終盤あたりはちょっと見てて辛かったのだけど(やあ○○○。○が●んでから後もあんなに話が続くとは思いませんでしたよ)、それでもだれる間もなく見せられてしまうというのは作り手の腕でしょう。すっかり引きずり回されてしまいましたし。
 「バットマン」シリーズはコメディの描き方で表現されることもあるキャラクターだけども、このシリーズ(クリストファー・ノーラン監督の、ね)ではほぼ甘さや笑いを排除して暗さ重さを追求しているらしく。お陰でコウモリ耳の飛び出たあのマスクやらお馬鹿な秘密兵器やらが妙に物語から浮くような気がするのだけど。(本来痛快に笑わせる話に似合ったギミックじゃないかなあ)その一方で今回は、ふざけた動作をやればやるほど違和感やら怖さやらが際立つジョーカーというキャラクターを配しているあたり。途中の病院爆破のシーンなぞ、どっかで見たなこういうの、昔のドリフだったかなー、コントの定石かなー、と思ったりしながら、一方ではその状況の悲惨さに震え上がっていたりした。
 ――で、結局彼等は負けたのか。捕らえはしたけど詰まるところ奴の思うままに遊ばれただけで。あれは「バットマンは殺さない」を逆手に取ってるんだろうけど――いや、もし途中で殺されてたら、それでもよかったのかな。それこそ「正義の味方」に厭な引っかかりを残すってことで。
 それにしても。ヒース・レジャー、なんで死んじゃったんですかね……バットマンに逆さ吊りで放置されたせいじゃないよな、とか色々下らないことを考えたりする。これだけヒットしてるというのに、成功を讃える晴れがましい場に彼はいないんだな、と思うとしみじみと哀しい。魂の安らかならんことを。
後日追記:Youtubeに落ちてるジョーカーのいるシーンの動画(著作権の関係ですぐ削除されるのだが)を見直してみると、ジョーカーのしゃべり方って、これが滑舌が良くよどみなく、歌うように強弱がついていて(韻も踏んでるかな?)聞いていてまことに調子がよろしいんですな。ピエロだから、香具師の如才なさをきっちり演じてみせているということか。それが冷酷で狂った高笑いに反転する、というあたりが見事なんだけども――劇場で見てるときは如何せん、字幕追うのに忙しくてほとんど気がつかなかったのさ;
これからご覧になる方は、是非そのあたりも注意しながら見て下さいまし。