「ヴェニスの商人」を見る

kazume_n2005-11-23

 朝起きて猫の餌出しとトイレ掃除してから二度寝したもので、本格的に起きたのは昼過ぎであった。
 折角だから映画見に行くか、「ヴェニスの商人」見ておきたいし――とネットにつなげて開始時間を調べてみたら。
 夜の上映全然やってないじゃん。新宿なんか三時の回が最後。これじゃ、祝日でなきゃ見られないじゃん。
 しまったそうなると今日見に行かないと――と慌てて家を出て映画館へ。場内に入ったのは最終回上映の予告編を流してる最中であった。
 で、映画。
 やあなんのかのいって堪能しましたよ。思った通りアル・パチーノ演じるシャイロックの悲哀が滲む話になっていましたが、元々はこれって喜劇だったのね。(そのはずだ)従者は道化らしくわたわたして見せるし、家出娘はずっしり重たいはずの金箱を恋しい男の上に降らせようとするし。やっぱり読んでおくもんなんだなあ、シェイクスピアって。これはしまった。
 しかもジョセフ・ファインズ演じるバッサーニオは、ジェレミー・アイアンズ演じるアントーニオとはどうも美しい想い人/新妻なんかよりもよっぽど親密な/タダナラヌ関係に見えるという演出だし。いや確かに、法廷で命の危険が迫った瞬間のやりとりから、そういう間柄を邪推できなくもないけども。(でもいくら感謝の印の最上級表現にしても、マウス・トゥ・マウスのキスはしないよな普通)
 しかし、後味が良いか悪いかといえば、決して良くはない。まあ悪くなってひっかかるように作ってあるんだろうけどね、すっきり分かりやすいハリウッド調勧善懲悪だけじゃ映画界も退屈だろうし。
 台詞は原作通りなんだろうけれども、ユダヤ人への迫害を冒頭で見せ、シャイロックの目線でのヴェニス市民=キリスト教徒とユダヤ人との関係を随所に映像で示すと、最後のアントーニオの「慈悲」がどんなに非道な仕打ちであるか。いや、アントーニオにしてみたら本当に慈悲だったかもしれないけど、恐ろしく傲慢な計らいではある。これを機に「卑しい金貸し」なんて仕事は辞めて、いずれはヴェニス市民にもなれる立場に、ということかもしれないけども、これだけの年の老人から精神的支柱を悉く奪うことはいっそ極刑の方がましではなかろうか。
 ――と、そう見せる、考えさせる所が演技と演出の力なんであろうとは思うけどね。シャイロック以外の人物は(ポーシャも例外かもしれんが)浅はかだったり放蕩してたりとか結構問題のあるところを見せているし。厳しい父の許を逃げ出して誠実な恋を叶えたと見える娘のジェシカにしても、ジェノアでは持ち出した金品で派手に遊び回っていたようだし。(いいけど、猿と交換したはずのトルコ石の指輪をラストでしてるのはどういうわけじゃろう。実体のない噂に過ぎなかったということ?)大体物語の大本のバッサーニオにしても、ポーシャに愛情もあるかもしれんが、最初にアントーニオに話している通りこの結婚はあからさまな金目あてなんである。自由にできる財産ができたということで、このあともいいだけの放蕩を尽くすであろうことは想像に堅くない。(賢夫人のポーシャが手綱を締めるのかもしれんが、楽観はできまい)
 で、この物語から何かの教訓を引き出そうとするなら、だ。

  • 憤怒や憎悪を抑え、慈悲を持て。
  • 人を呪わば穴二つというか、復讐はよくない。
  • 破産するような無茶な投資をしちゃいかん。
  • それ以前に何より、借金をするのが間違いだっての。

 ――と、いうとこでしょうかねえ。
 でも考えてみると、シャイロックへの最後の決定打になったあの裁定の根拠の条文は、慈悲を、訴訟の取り下げを、と勧めてる間にもあらかじめ知らせておかないとフェアじゃないと思うのよ。まあヴェニスの当局としては収入が増えることだから、そこまで親切に教えてやりたかないということかもしれないけど。
 まあシェイクスピアの意図とは遥かに離れた、決して分かりやすい映画じゃないのだけど、これはこれで意義があると思いますよ。衣装とか背景等、美術は素晴らしかったし。何よりちゃんとヴェネチアで撮ってますよ、これ。冒頭のリアルト橋は分かりやすいところだけど、何か妙に背景の柱とかレリーフとか豪華な、と思ったらドゥカーレ宮じゃん! とかね。
 ポーシャの館の豪華さなんかも、多分イメージに合う由緒あるお屋敷を見つけてきたんでしょうなあ。この風景と衣装をだけでも充分価値はあったと思うことでありますよ。これはDVD買っちゃうかもしれません。

 ちなみに今日の写真は、映画の後で立ち寄った、同じ建物の大型雑貨店のぬいぐるみ売り場。モン・スィユの商品がまとめて置いてあって、新型「山崎ぶたぶた」さんことショコラがそろってこちらを見ていたのだった。