よいよいさん(仮名)のこと。もうちょっと。

よいよいさん(仮名)は、今朝方ペット葬儀社の方が引き取りにきて、連れて行かれました。私は業者さんの車(別に霊柩車らしくもない、会社名も入ってないふつーのバンでした)をお見送りするところでお別れ。
うちにあった段ボール箱に寝かせ(古バスタオル敷いてよいよいさんのベッドにしてたのそのまま)動物病院で獣医さんがくれたドライフードの試供品袋とささやかな花束と、ちょっと考えて先日のグレープフルーツの花びらを干したの(これも随分芳しい。ポプリになるかなと思っていたので)をティッシュに包んだのを入れて。その昔、古代エジプトでは愛猫も死ぬとミイラにしたり、飼い主は喪をあらわして眉を剃り落したりしたそうですが、さすがにそうはできないので、せめて香りのよい物を副葬品にと思って。(エジプトだと香油とか没薬の類なのかな? 香油って、ラベンダーのオイルくらいしかありませんが)
動物のお弔いといっても、どうするのがいいか良く分からんです。(ヒトのだってちゃんと分かってるわけじゃないし)元々ある宗教でも、動物にお弔いする習慣なんてない所がほとんどだろうし。ペット霊園なんかも最近の習慣だろうから、動物の葬儀もまだあんまりシステムとして固まってないんじゃないでしょうかね。
ただまあ、私はずっと思ってるのですが、ヒトのであれ動物のであれ、葬式という儀式は実は死んだ者のためよりも、残された者が喪失を何かの形で納得するためにやることなんじゃないかと。だから、送る側が納得できる形ならいいでしょう。多分ね。
私も死んでいるよいよいさんがドライフードを食べられるような気はしないし、花束を喜ぶとはもっと思わない(せめてエノコログサなら生きてた頃にも喜ばれたかもしれない)けど、送る側の気持ちが乗っているものだからね。例えば、うんとドライに考えるなら、獣医さんがくれたフードを、折角だから無駄にしないように、とうちの生きた猫どもにくれてしまうという選択肢だってあったけど、さすがにそれはできなかったし。あれは、よいよいさんの物だよなと思うとね。
もし猫のあの世というものがあって、猫にも三途の川を渡る行程なんてのがあるなら、それ食べて行っておくれね、と思う。
気休めだけどね。猫にあの世があるかどうか知らないし。
ただもしあるなら、四年ほど前に消えた保父猫(それはそれはとんまだが気立てのよかったマダムの兄)が、よいよいさんの面倒を見てくれないかな、などと考えることです。彼はそれは子猫好きで女好きであったから。
あ、ちなみによいよいさんは女の子でした。

そういうわけで黄金連休でござんす。
元々遠出をする予定もなかったのだけど、よいよいさんの一件で力が抜けて、ご近所のお買い物くらいで一日終わらせてしまいました。
よいよいさんにあんまり何かしてあげられたような気もしないけど、拾った時には手足と腹がぐっしょり濡れていたもので、拭いて乾かしてタオルの寝床あげられたくらいは良かったのかなと。度々起きだして鳴いてはいたけど、ペットボトルの湯たんぽ置いたら少し落ち着いて眠ってたようだったし。
それから、後で気がついたことだけど、よいよいさんを拾ったのはもう暗くなってからだったんだけど、そのまま置いといたら翌朝には、生きてたとしてもカラスの餌食になるのはまず間違いなかったでしょう。うちの近くもカラスは多いです。ゴミ袋をつつき回してるし。路地のまん中の目立つ所にあんな茶トラがいたら、見つからないで済むわけもない。
翌朝起きた時にはまだ動く体力が残ってたらしくて、驚いた事に寝かせてた風呂場から寝室の方まで移動して来て震えてたんですが、風呂場に連れ戻して段ボールベッドに寝かせて出かけたら、帰った時には朝見たままの形で死んでました。出がけにかけた手ぬぐいタオルもそのまんまだったので、ほとんど動けなかったのでしょう。
ヒトにできることなんてあんまりないね。そういえば、以前動けなくなって獣医に連れてった顔見知りのキジトラ野良猫さん(嬢と坊の、えーと、大伯母さんにあたる)も、点滴などで一応回復の兆しが見えたかと思った矢先、やはり内臓のダメージが響いて4、5日ほどで亡くなってしまいました。
 ただ、生き延びさせることはできなくても、カラスにつつき回されてぼろぼろになったり、道端で死んで生ゴミ扱いされるよりはいいんじゃないかと思うと、やっぱり連れて帰ってしまう。
これはやっぱり業というやつでしょうかね。猫狂いの。私としては、猫どもって、絶対何か変な物出してると思うんだけど。ヒトによって特異性の全然違うフェロモンというか、ある種のヒトのみに中毒性の作用のあるガスかなんかを。だから、どんな不細工な猫でも、私は漏れなく吸引されてしまうのですね。
――なんてことを、うちの猫どもの腹の匂いを嗅ぎながら考えたことです。君らは毛深いなあ。ほっといてよ、と言われそうだけど。