親学絡みで色々と

 mixiで話題になっていたことから派生して、色々と考える。
 切っ掛けはこれ。
親学:賛否割れる 道徳強化、75%が支持−−毎日新聞世論調査(MNS毎日オンライン)

 毎日新聞が5月26、27日に実施した全国世論調査で、親に向けた子育ての指針(親学)を政府が提言することについて尋ねたところ、賛成47%、反対44%で賛否が拮抗(きっこう)した。公立小中学校の道徳教育の強化に対しては、賛成75%、反対19%だった。
(中略)
 親学提言への評価を年代別に見ると、20代は賛成が68%で反対の28%を大きく上回った。30代、60代、70代以上も賛成が反対より多かった。逆に40代、50代はいずれも賛成が約4割で反対が約5割。これから子育てが本格化する世代と子育てを終えた世代で賛成が多く、思春期の子供を抱える世代で抵抗感が強い傾向が出た。

 「親学」なるものの提言に反対する親御さんも多い一方、そういうものはお上からもやってくれなくちゃ、と思う人々も多いということに、これはあたりまえのモラルや常識の規範さえも、お上の指導に任せたいと思う人が大勢いるということ――? と、いう懸念とともに取り上げられていたのだった。
 で、この話題で、思いだしたのがこれ↓。
子供への方策 一人一人が取り組む人間性教育の具体策(委員発言の概要)(教育改革国民会議)
 この文書が出されたのは平成12年7月のことなので、いくらか時間が経ってもいるのだけど、この会議の活動内容としてサイト上に掲載していると言うことはいまだに提言として意味のあるものとされているのでしょう。
 で、これを見るに――当たり前のモラルもあるけども、なんというか、普通の子育ての現場の感覚とは遊離したファンタシィの混在を感じるんですな。
 たとえば、私が呆然としたのは「団地、マンション等に「床の間」を作る」というやつ。上記の親学関連の話題が出ていたところでは、「上座が存在することで、上下関係を軸にした人間関係をきちんと作る」わけだから良いと思う、という声もあった。確かに、目上を敬う、とか、敬意を払う形式についての習慣を身につける、という意図なら意義の在ることとは思う。
 でも現実に、今現在の親御さんの世代で、「床の間」の意味を分かっている方がどれだけいるかと思うと。「なんか和室にある、一部だけフローリングの部分」くらいの意識しかないんじゃないだろうか。あの場所が本来、家の中の「ハレ」の空間を為す上座であって、書画を飾り客をもてなす意味のある場所、と、分かっている人は、今現在の大人でもどれだけいるだろうか。
 実際、ほとんど分かってないんじゃないかと思うのよ。旅館の和室にはそういうスペースがあって、絵や壺や花が飾ってあるな、というイメージがあるくらいで。もし自分の家に床の間があったとしても、物置に成り下がってる場合がほとんどじゃないかと*1
 既に「床の間」の文化は日常からは失われていて、そこへ形ばかり「マンションでも床の間を」と提唱したとしても、使い方が分からない現代人にとっては遊離した異文化でしかない気がする。本格的にそこから敬意や規律や美意識を育てようとするなら、茶道や華道や禅をたしなみとして提唱する方が有効なんじゃないかと。(床の間も元々禅宗から来てるそうだしね)
参考:Wikipedeia:床の間
 しかし、つらつら考えてるうちに思ったのは、昨今の日本ではもう、大人からして、敬意を払うべき、とか畏れて身を慎むべき存在、というのが心の中にはないんじゃないかと言うこと。
 何か、確かな信仰を持っている人はいいのだろうけど、現代日本人の多くには、日常に信仰がない。地方や、古くから同じ土地に代々住み続けている人々なら、毎日仏壇にお供えして、節目毎にお墓を掃除して、地域の神社の氏子の集まりに参加して、ということもあるかもしれないけど。例えば多くの都市部の核家族世帯では、親が死んで突然仏壇を構えることになって、どうしていいか分からない、という話が少なくないのだった。
 いや、「敬うべき心の支え」なら、信仰でなくても良かったはずなんだけどね。昔っから日本人の多くの「信仰」は、ほとんど「習俗」と一体化しちゃっていて、神様仏様よりも「お天道様」もしくは「世間様」に対する恥と礼節で日常の規範を保っていたらしいし。(と、ベネディクトが「菊と刀」で書いているそうな)
 でもイマドキの日本人は、そこまで世間様への顔向けを意識しているようには見えないし。偏見は良くない、とはいうものの、それが妙な形で拡大解釈されて「なんでもあり」になっちゃってるような。
 で、それで何の不安もなくうまくいってるかというと、やっぱり実は心に不安はあって。子供を育てるにも自分が誰かと付き合うにも、これでいいのか、悪く思われないか、後で困ったことにならないか、とか揺れていたりはする。昔なら、近くにいやというほどいたお節介なご近所さんとか親類縁者とかに吐き出した所だろうけど、昨今だと、そこまで人間関係は密じゃない――というか、そういう無遠慮が関係が敬遠されていったところに落ち着いてるのかな。家にいるときは鍵を掛けるのが当然の用心だし、もし窓から覗き込まれたら「気にしてくれてる」よりも「変な人/気味の悪い人」だろうし。
 でも、吐き出せないでいるそういうゆらぎには、良くない物や不安定なものも入り込みやすいでしょうな。カルトとか詐欺商法とか、怪しい健康法とかマルチとか占いとか。中には営利目的じゃない、真面目で誠実なカウンセリングとして機能するものもあるだろうとは思うけど。でもそう楽観的にはしてられない。実際被害を出してる団体や企業のカモは、そういう人々だしね。
 そのくらい寄る辺なく揺らいでいるものなら、お国の「権威」やら「権力」やらにその「敬い」「畏れる」対象、になって貰おうと、思っちゃったのかもしれないけど。(ああなんか書いててすごく寒い感じ)
 色々考えるに、子育てに色々提言する前にまず、親の方に規範を教えて、精神的に安定させるシステムの工夫は、何かなきゃ駄目なんじゃないかとね。
 それはお上や学校のやることか、という声もあろう。私もちょっと首を捻るところではある。実際、正面から「国が決めたからこうしなさい」とか「これが基本、これが推奨」とまで言ったら、弊害の方が多いだろうし。
 でも、もう一歩引いたところから、裏方で支援する仕組みくらいあれば、と思うけどね。例えば地域によっては、学校や地域活動を中心に新しいコミュニティの連携を作る、という試みもあるようだし。実際には硬直した「規範」じゃなくって、現場で柔軟に対応しなきゃいけないことと思うけど、そういう試みを支援する、国なり自治体なりの事業があってもいいんじゃないかな。

*1:実際、私の実家ではそうですな; ていうか、和室自体がほぼ納戸と化しているわけだが;