銃撃事件の日

 何の偶然か、国内ニュースも海外ニュースも銃撃事件の特報。

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 勿論全く別々の事件だし、それぞれ動機も実行の経過も違うのだが。長崎の方が、銃の規制や狙撃対象が公人だったこと等の要因で、犯人は即座に取り押さえられた、という事情もあるし。
 ただどっちにも感じるのは、「このやろう、ぶち殺したる」と思う気持ちはわりと誰にでもどこにでもあって。その気持ちを抑制しきれるかどうかには、小さい要因がいくつも絡んでいると思ったり。銃や銃弾が入手できるかどうか、なんてこともその一つ。
 もし手元に銃がなくて、じゃあナイフや鈍器で、となっていたとしたら、ここまでの惨事にはなってなかったかもしれん。振り回してるうちに扱いにくさに戸惑って、こんな面倒なことは止そうと思うかも知れないし、被害者が致命傷を負うまでに取り押さえられたかもしれん。
 勿論、殺意を抱いて計画的な行動に出るまでには至らないよう、気持ちをコントロールできるように導くのも大事なことだろうけどね。でも、犯人が特殊な性癖や精神構造の人物だった、というよりは、誰にでもある感情の引っかかりがエスカレートして、銃を手にしたことで犯行計画が具体化しちゃったんじゃないか、という気がする。
 銃火器は確かにかっこいい造形なのだが、対象を傷つけること壊すこと、ひいては殺すこと、だけを目的にした道具なんであって。その用途・作用は、「服に着られる」というのと同様に、「銃に使われる」とでもいった力を発揮してるのではなかろうか。
#本物の殺傷能力のある銃を手にしたことはないけどさ。
 これがあれば殺れる、と、思ってしまったその時から、その後どうなるのか、それにどう落とし前を付けられるのか、影響を背負いきれるのか、なんてえ諸々のことは「殺れる」という誘惑の前には霞んでぼやけてしまうんじゃないかね。そしてやっちゃってから気が付くと、もうそれを自分に向けるよりほかなかったり。
 ――なんてことを、津山事件の経過を綴ったページを読み返しながら思ったのだった。
津山30人殺し事件(国内事件情報サイト「夢幻回廊」より)
 ヴァージニア工科大学の事件の犯人の動機も、女性関係の怨恨の可能性があるというけれども。そうなのかどうかはまだ分からないけど、割と個人的かつ感情的な理由のような気がする。
 人間のやることは、七十年経ってもあんまり変わってないような。そして洋の東西を問わず。
 今回のヴァージニア工科大銃撃事件の死者は現在の所33人とのことだから、津山三十人殺しは単独犯の大量殺人の記録としては史上4番目になったそうで。(ちなみに史上最悪とされるのが1982年韓国慶尚南道宣寧郡での警官・禹範坤による57人殺害、2番目が1996年オーストラリア・タスマニア島ポート・アーサーでの35人殺害事件)
 不謹慎と思われるかも知れないけどこうして並べてみると、どれもちょっとしたことでエスカレートして手のつけようもない惨事になってるような。途中に何かちょっとした抑制がかかっていたら止められたんじゃないか、という気もするのだけどね。

 それと。韓国国内や米国在住の韓国人の間で、この事件のせいで、韓国人への反感や排斥の動きを心配する声が高いようだけど。
 実際そういう手合いもいるだろうとは思うけど、聞いてみれば犯人は子供の頃から米国で育って、永住権も取得してると言うし、これはKoreanというよりU.S. citizenでしょう。Korean-Americanではあるにしてもね。
 まあ短絡的に民族や出自で判断されることも多かろうから今後しばらく韓国系には受難とは思うけど。でもこれって、多民族国家米国の一面であって、韓国や韓国人社会を責め立ててもどうなるって気はしないけどな。
 とはいえ、もしこの事件の犯人がWASPだったとしたら、WASPへの反感や攻撃が強まるなんてことは、起こっただろうか? 実際、この事件の犯人の背景がどうとか、韓国系は犯罪に走りやすい傾向があるかどうかとかとは、あんまり関係ないんじゃなかろうか。