不快感の理由

 他人の気持ちに考慮しても何故か残る不快感の理由の一つに気がついた。
 私は、何か自分のした事を責められた時に「自分も辛い」ということで許されると思ってる人間に生理的不快感を覚えるのだった。被害者面してんじゃねえこのくずが、一人で痛がってやがれヒトの同情買って許してもらおうとするなんざ虫酸が走るわぁっ、と。
 たとえば、こんな感じ。


「両親に挨拶も済ませて式場も手配したってのに、あの男は何だよ! お前一体何人と寝てるんだ!」
「あたしだって辛いのよ!」

「お前に預けた今月分の入金どこやっちゃったんだよ! 月末までに入れないと不渡りが出ちまうんだぞ!」
「俺も辛いんだ!」

「数十人もの死傷者を出す惨事となった今回の事故は、御社の過酷な勤務体制による整備不良が原因ではないんですか?」
「いやその。私も、辛いです……」

「だ、大統領! そのボタンは核ミサイルの……っ――ああああーっ!!」
「騒ぐな。私も辛い」

「どうして、あんな小さな子に、あんな惨いことをしたんです。あの子のご両親もどれだけ悲しんでいるか」
「だって騒ぐから……僕だって辛かったよ」


「子猫をどうしてるんですって?」