ピーター・パンは大人になりかけた子供を殺す

 というのはしばらく前に「トリビアの泉」で取り上げられた事だけども。
 そのことをつらつら考えているうちに、そういう話って他にもあったなあ、と思いだした。
 スティーブン・キングの某作品だ。(ちなみにこれはネタバレなので、興味を削がれたくないかたはクリックしないように)こちらはただ一人のピーター・パンが殺して回ってるわけじゃなくて、集団の掟においてそうするんだけどもね。
 などと書くと、どこやらに「スティーブン・キングが『ピーター・パン』の剽窃を!」なぞと騒ぐ底の浅い輩がいそうだけども。あの『ピーター・パン』からこれは生み出すという芸当が、剽窃程度の手先の技でできるとは思えないし。
 つまりなんだ。秀逸な書き手は、既存の良く知られた骨格や素材からでも、全く違う印象的な構造物を造ってみせるのだなあ、と。その間には勿論、既存のテキストの咀嚼・消化と、新しい自分の作品としての再生の過程があるわけで、ここまでくると元ネタがある方が容易とも効果的ともとても思えない。
 いや、そもそもスティーブン・キングが「ピーター・パン」を意識して書いたとはあんまり思わないけどさ。でも仮に何かの話を下敷きに(本歌取り、オマージュ、パスティーシュ、パロディというか)して新しいものを作るならば、一度徹底的に解体してみせるくらいでなきゃならん、ということなのだろうね。