食事は美味しく食べました

 ↑のことがあったので、ちゃんと食べられるかどうかと思ったのですが、何の影響もなし。昼食を食べ終わってしばらく経つまで、胃痛のことなんか忘れてました。なんでしょ??

 ともあれ物が美味しく食べられるのは有り難いことであります。本格的に壊すとホントに何も美味しく感じられないからね。楽しめるときに楽しんでおくほうが吉でありましょう。
 私は普段の生活はごくつましく(orいい加減に)してますが、たまに食のヨロコビを追求するのもまたよろしいと思ってますし。つつましく簡単に、でも美味しく食べられるならそれが何よりですな。

 で、割とどうでもいいことだが、突然思いだしたこと。
 昨年秋のイタリア旅行中、ヴァチカン美術館を見た後で、近傍のレストランの軒先でご飯を食べていたときのことだ。
 ここの料理は美味しかった。(というか、この旅行中食べた物はほぼみんな美味しかったんだが。イタリア人は料理に関しては真面目だわ〜)オレンジクリームソースのパスタ、なんてメニューがあって、どんな妙な物を出すのやと思って頼んでみたら、ほんとにホワイトソース様のソースがオレンジ風味になってる一皿で、何をどうしてあるのか大変美味だった。(これでデザートではない、ちゃんと料理パスタなんである)他にもピザとかニョッキとか色々頼んだ気がするが、外れもなく同行者一同うまうま言いながら食べたのだった。
 それはそれで良かったのだが、ここの本題はそのことではない。この時私たちの隣のテーブルに、若い白人男性の二人連れが来て食事をはじめたのだった。頼んでいたのはそれぞれ、カツレツか何か肉料理の類と、私達も頼んだ割とオーソドックスなパスタかピザか何かだったと思う。
 が。彼等は、それはそれはしんどそうに、気が進まなそうに料理をつついたんである。どーしたあんたら、良い若いもんが体の調子悪いんか。(しかし見たところ健康そうなガタイと顔色で、酒臭くもないようだった)なんか心配事でもあるんか。(おっかさんが亡くなったばかりとか、帰ったら確実にリンチが待ってるとか)それともその料理はよっぽど不味かったんか。――いやカツレツはわからんけど、そっちのは私たちも食べた。素晴らしく旨かった。何でそれを食べてそんな顔になるよ? なんぞ嫌いな物でも使ってあったんか、他人の好き嫌いはわからんから。(場所からしても旅行者も多いところだし、イタリア人じゃなかったのかもしれん)
 通りすがりの他人の事情は窺い知れようもないので、残念ながらこの話にオチはつかない。ただまあ、同じ場所で同じ時に同じ物を食べても、幸福になる人間も不幸なままの人間もいるってことだな。
 私は、他人を踏み台に自分だけ夢のお城に暮らす無責任な能天気さ苦手とすることだけど、この世が楽園でないからには、時には無理矢理にでも現実を楽しむという楽観性が人生には必須だと思うことだ。とりあえず、自分の幸福のツボを把握しておくことは重要であろう。特に日常不可欠な食事や睡眠については。で、自分のことは良しとして、時々あの不味そうに食事していた人達なんかを思い出す。晴天のローマ市内の真ん中の小綺麗なレストランで、多分本当はかなり旨いと思しい料理を食べながら、あんなに塞いだふうになっちゃう事情って一体何だろ、と。思いっきり余計なお世話だろうけど、もしかしていつもそんなふうなら、君ら人生の2割くらいは絶対に損してるぞ、と。

 さて、ところで今夜は、何を食べようか。納豆かけご飯くらいでもそこそこ幸せにはなるけれど。