またちょっとだけnintendogsを想う

 ほぼ日刊イトイ新聞のコンテンツ「みんなでニンテンドッグス日記」にあった、サンフランシスコで日本語の読めない米国人ユーザーに遊び方を訊かれた方のこんな報告。


「譲る」を説明したときには
「No-oooooooo!! He is my dog!!」
と、目に涙をためて叫んでました。
(5月9日 19:08)

 気持ちは分かる。気持ちは分かるけど、そうしないと家出されない限り終わらないゲームなのだった。いや一生添い遂げる覚悟かもしれないけど。
 それと、長らくほっといてしまった場合に、私は寂しく待ち続けることだけを心配したけども、実際のゲームでは他にも色々あるらしい。汚れて蚤たかりになったりとか、お腹空いたりとか。死にはしないのに、飢餓はあるという。
 楽しく遊んでる皆様にとって、新しいコミュニケーションツールになっていることは良いことだけども。
 私がつい考えてしまうのは、既にどこかに何匹かは必ずいるであろう、もう飽きられほっとかれて、蚤にまみれて空腹でしょんぼりしているヴァーチャル子犬達のこと。
 可愛がられてる子犬もたくさんいるんだろうけども、百匹のうち99匹がこの上なく幸せなら、1匹が蚤たかりで空腹でよろよろになってることなんか気にすることない、って訳でもないし。(なんかル=グウィンの「オメラスを歩み去る人々」みたいですな)
 ――とはいえ、冷静になって考えたら、たかがゲームのことなのだった。腹すかせてようが蚤の痒さに悶絶してようが、所詮ヴァーチャル。
 でもね、誰もがそう割り切れると思う? 特に、自分の犬に一度メロメロになってる人間が。
 結局このことは、元々私自身が「nintendogs」をやるかどうか、という問題だったんで、私が感じたことを一般化できないのは当たり前なのだった。ヒトによって感じ方が全然違うんだから。
 リアル犬の場合だって、もしもいい加減な飼い方をしてる飼い主に「なんてひどいことするんだ!」と言ったとしても、「俺の犬だ、他人が口を出すことか!」と言われるかもしれん。今でこそ動物の虐待は問題として取り上げられるようになったけども、少し前までは「他人が口出すな」というのが割と普通の反応で、よほど周囲の迷惑になりでもしない限りそれ以上何もできなかったものだし。
 でもヴァーチャル犬は、ほんとに「そのユーザーの犬」以外のものではないんだった。端から見て飼い方に問題があるように見えたとしても。

 昔、私がMac上で熱帯魚を飼うヴァーチャル水槽ソフト「AQUAZONE」で遊んでいた頃、友人から聞いた話。
 友人の周囲には、このソフトの偏った遊び方をする人がいたそうな。例えば、ちょっとずつ設定水温を上げるとか、餌を与えないでおくとか減らしてみるとか。そうして、どういう状態になってどのくらいの時間で死ぬかを見るという。
 nintendogsだって、理論的には同様の遊び方が可能である。餌を絶ってみるとか、洗わずにおくとか、構うときに嫌がるポイントを探してみるとか。そして、グラフィックや反応の変化を見たり、家出までの時間を調べたりする。
 そういう遊び方をされたとしても、誰も責められる筋合いはないわな。与えられた製品の、別の使い方を探したというだけのことで、誰か他のヒトを傷つけるわけでもない。
 でもそれで平気か、っていうとね。そんな余計なことまで色々考える方がおかしい、と言われそうな気はするけども。
 うまく言えないが、「可愛い」「大好き」という引き起こされた強い感情と、「商品」「流行もの」という事物との関係の軽さ、薄さが釣り合わなくなるんじゃないか、というのが心配なんだと思う。それぞれのユーザー十分納得してるならそれ以上何を言う筋合いではないけども、ほんとに納得してるんか? と。

 だからね。
 今は考えただけでも泣いちゃうかもしれないけど。ちょっとしょんぼりさせる事が増えてきたなあ、と思ったら、早めに他に「譲る」ようにしたほうがいいんだと思うよ、犬のためには。長らくほっといたセーブデータから、どんな悲惨な待ち期間が算出されるか、と心配になる前に。
 しかし再起動してみるまで状況がわからないとは、シュレーディンガーの猫の如し。