死と存在を想う春

 朝のニュースでもネットでも、福知山線脱線事故の続報を見聞きする。今朝の段階でもまだ全員の救助/回収は済んでいないが、死者は100名を越える見込みとか。
 一昨日の時点でもだんだん被害者が増えていくことに怖さを感じてはいたが、まさかこんなに長引くとは思っていなかった。しかも怪我人が運び込まれた方々の病院や、遺体を収容してる体育館では、いまだに「家族/知人が帰ってこない、乗り合わせていたんじゃないか」と探して回る人々が絶えないという。
 不特定多数の人間が偶然居合わせる交通機関でのことだけに、亡くなって遺体だけ収容されてしまうと、身元がなかなか分からない、ということも起こるのだった。ほとんどの場合は持ち物などや、探している家族/知人の照合で特定するだろうけど、もしも偶々誰にも知らせずに出掛けて、身元の分かるような物も何も持たない、あるいはそうした持ち物が事故の際に全て破損して身元をたどれない状態になっていたとしたら。死者がどこの誰で、誰に死を知らせればいいのか全く分からないことになる。
 身元が分かった人については、ニュースやネットでも氏名を公開しているけども、これって最近では例外的なことなんだろうね。個人情報だし。ちょっと前の北陸や福岡の地震でも、被災者情報を悪用する例があったそうだから、きっと、こうでもしないと本当にそれ以上の身元が辿れないという不安がある、ということだろう。

 例えばながらく連絡が途絶えたままで、このまま特に関わり合うこともなく一生過ごすかな、と思っているような人だったら。あるいは本人同士が分かっているだけで、特に周囲にも話さず、記録にも残さないような関わりだったら。(ええと、秘密の不倫相手とか生臭い想像ばかりしないように。たまたま行きつけの店で顔を合わせるとか、散歩の途中で挨拶するけど名前は知らないとか、そういう場合も含めて)もしもこういう事故で一方が亡くなったとしても、もう一方がそれに気が付く可能性は僅かだろう。今回の場合は氏名やおおまかな住所まで公表しているけど、最近の他の事件では、被害者の氏名までは出さないのがほとんどだし。
 離れたところで奇禍に遭っていても、きっとこちらには分からない。ごく親しくて頻繁に連絡を取り合っているか、交流があることをご家族等も知っていたりすれば、連絡があるだろうけど。それほど親しいわけでなければ、亡くなったり大怪我をして人生が変わっていたりしても分からない。例えばネットの友人とかは。
 もしかすると、そんなことになってると知るまでに何年も掛かるか、下手をすると一生知らないままかもしれない。
 お互いの意志だけに拠る、ごく淡い付き合いなどそんなものだ、と割り切るしかないのか。あるいは何か、そう言うときに備えて何か準備をしておくべきか。「もしもの場合には連絡しておいてね」というリストを作成しておくとか。
 ただ改めて考えてみると、生きて普通に生活してる間は、自分でも良く分からなかったりするんだよね。こう言う場合に、誰に何を伝えるべきかって。