nintendogsの哀しみ
ほぼ日刊イトイ新聞の「みんなでニンテンドッグズ日記」を読んでいる。
「nintendogs」はかなりリアルにできたヴァーチャルペットソフトで、大変愛らしい。今日発売とのことである。
- 出版社/メーカー: 任天堂
- 発売日: 2005/04/21
- メディア: Video Game
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で。サイト上に書かれた日々プレイレポートを読んでいるうち、私もNINTENDO-DSを購入してこれをやるかな、という気になってきた。元々たまごっちとかどこでもいっしょとか、この手のヴァーチャルペットは好きな方なのだ。
が。ここで気が付いた。
「nintendogs」では、ペットに寿命がなく、年も取らないのだそうだ。あんまり世話を怠ったり虐めたりすると「家出」してしまうことはあるが、それなりに手を掛けている限り飼い続けられるという。(こういう「終わりのない」ゲームであるあたりは「どうぶつの森」に似ていると言われる)だからいつかお別れが来る心配もなく、犬はいつまでもDSの中にいる。
ゲームをやっていない間はセーブデータになっているだけだろうから、コールドスリープにかけているようなものとも言えるが、ゲーム内時間はDSの時計に連動して経過するようになっているそうなので、DSの時計を遅らせてやらない限り、nintendogsも同じだけの時間、構われるのを待っていることになる。
持ち主が飽きて放り出しても。あるいは持ち主が年を取って死んでしまっても。ゲーム内ヴァーチャル犬は待ち続ける。理論的にはセーブデータの記憶媒体が壊れるまで。
…………
そんな哀しいゲーム、とてもやれない。
一度始めてしまったら最後、いつまでもいつまでも待ち続ける犬を一匹作ってしまう。となったら、プレイヤーもやり続けるしかないではないか。いつかメディアにハード的に「お別れ」が来るまで。
でも、大抵のヒトはいつか飽きる。一生生活に一つのゲームを伴い続けられるとも限らない。
ここで、「たかがゲームに何をそこまで思い入れてる」という声もありましょう。
その通り、相手はコンピューターゲームだ。ヴァーチャルペットは「そう望まれそう作られた」(from「アップルシード」by士郎正宗)存在であって、DSの中のnintendogsが本当に嬉しいか哀しいか、ヒトには本当には分からない。推測できることもあるけれど、ヒトとは感覚も反応もシステムが全く違う以上、そっくりそのままを感じ取ることは不可能だ。
だから本当は、「忘れられても待ち続けるヴァーチャル犬」に哀しみを覚えるのはヒトの方。一時強く愛らしい、いとしい、と感じただけに、離れて忘れていくことに、寂しさや罪悪感を覚えてしまう。
「もうほとんど会わないけど、どこか遠くで幸せにしている」と都合良く思えるなら、このゲームも楽しいだろうけどね。でも私はなんだか、昔のSF漫画なんか思いだしましたよ。清原なつのの「真珠とり」とか、清水玲子の「ミルキーウェイ」とか。
やっぱり理不尽でも、どうしようもない強制的な「お別れ」はあったほうがいいんじゃないかなあ。永遠に耐えられるほどヒトは強くないのよ、多分。
- 作者: 清原なつの
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2001/06/15
- メディア: 文庫
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- 作者: 清水玲子
- 出版社/メーカー: 白泉社
- 発売日: 2000/09/01
- メディア: 文庫
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