妙な夢

 といっても、夢の中の情景はさして奇妙でもないのだが。
 何が妙かと言うと、随分昔の知人が出て来たのだった。もうかれこれ十年ぐらい連絡を絶っていて、今はどうしているか知らない。
 夢の中でのその人は昔通りの容貌で(それしか知らないんだから当然だが)元気そうではあったが異様に明るく、行動が自堕落と言うか捨て鉢な感じだった。テーブルに土足を上げて子供っぽいはしゃぎっぷりを見せたり、自動車をどこまでもバックさせてみたり。
 私は平安時代の人間じゃあないので、何年も音信の絶えた人間が夢で何かのサインを送っているとはあんまり思わない。とするとこれは、私自身の懸念か後悔か何かの現れであろうか。
 とはいえ、それを解消するために今から連絡を取ってみるのが良いとも思えないのだった。何故かと言うと、連絡を絶ったのはそれこそ思い出したくもないトラブルの末だったからである。私も自分にも非があったのは自覚しているし、できる限りの謝罪はして、償える方法があるならそうしたいと願ったが、そういう態度が却って相手の気持ちを逆撫でするらしいということが分かってきたので諦めた。相手が頑なだったのかもしれないし、私の方が状況や謝罪する自分に酔っていたのかもしれない。
 姑息なようだが、大人になると「関わらない」というのが最善の策だと思う事も増えてくる。力業で押し通せば相手を根負けさせることはできても、内面には深い傷を穿つことになったりもする。消極的とは思うが、私はそれを恐れるのだった。
 だから、仮にその人が今本当に何かの苦境に陥っているとしても、私が何か働きかけるのが良い事でもなかろう。助けを求められているならともかく、長いこと、関わらない事で双方穏やかにやって来た。下手に関わり合ったら、また不幸なトラブルになるかと思うと、行動には出られない。あるいは私の方が何か自分の苦痛を自覚し始めてるのだとしても、同じことが言えるだろう。
 大人になると自分の幸も不幸も自分で落とし前つけなきゃいかんのだなと思う。誰かのせいにできれば楽だけど、そんなことしても現実の状況も自分の性根も変わらないわな。助けが要る時に他人に助けを求めるのはむしろ良いことだと思うけど「誰かのため」は容易く「誰かのせい」に転化するよな、なんてことを思うと、助けを求める側にも相応の覚悟は要るのだろうね。依存しすぎないことや、良くも悪くも相手に押しつけないことに。

 ただちょっと、そんな夢を見てしまうと。大人になっても人間の内側なんて、迷子の幼児のように寄る辺の無いものか、などと思ったりする。なかなか、それぞれ自分の足で立ってさっぱりと気持ちの良い人間関係、なんてのは実現できてないよなあ。