違和感の正体

 坂東眞砂子氏の子猫殺し問題もう散々書いたし、書いてどうなるもんでもないから止めとこうかと思っていたのだが、今日になってとうとう一般紙にも取り上げられた。

子猫殺し:直木賞作家・坂東さんがエッセーで告白(MSN毎日インタラクティブ)


 日本動物愛護協会によると、フランス刑法は犯罪を三つに分類、子猫を殺す行為は、中間の「軽罪」(最高2年の拘禁刑)か最も軽い「違警罪」(罰金刑)にあたる可能性があるという。協会は「事実なら到底許されない」と非難、日経に事実関係の調査を求める方針だ。
 坂東さんは日経を通じて「タヒチ島に住んで8年。人も動物も含めた意味で『生』、ひいては『死』を深く考えるようになった。『子猫殺し』はその線上にある。動物にとって生きるとはなにかという姿勢から、私の考えを表明した。人間の生、豊穣(ほうじょう)性にも通じ、生きる意味が不明になりつつある現代社会にとって、大きな問題だと考えているからだ」とのコメントを寄せた。
 日経には23日までに、エッセーを巡って約300件のメールと約60件の電話が寄せられ、多くは批判や抗議だという。在日フランス大使館にも問い合わせが相次ぎ、業務に支障が出ている。
 日経社長室は「原稿の内容は、筆者の自主性を尊重している。今回の原稿も事前に担当者が筆者に内容を確認した上で掲載した。さまざまなご意見は真摯(しんし)に受け止めたい」と説明している。
 うーん。
 「筆者の自主性を尊重」というのも便利な言葉ですな。確かに坂東氏個人の意見であって唯一無二の正義だとも言ってはいないけども、新聞というのは一応公器なんで、編集者の目を通して載せた以上その新聞の意見ということになっちゃうのだが。微罪とは言え犯罪に当たると認識していたら、どれほど筋が通っていてもこういう形では載せなかっただろう。
 正しいという信念に基づいて法を犯す破壊行為は、テロリズムと呼ばれるのだが。正しいと信じる行為を正しく保ち、また広めようとするなら、まず法の方を改めるように働きかけるべきであって。
 でも坂東氏も日経も、そこまで考えてこの文章を世に放ったようには見えない。
 私は自分が猫狂いだから、今回の件について偏った見方をしているかも、と何度も考え直してみたけれども、やはりどうも得心が行かなかった。
 が、今朝になってようやく、その違和感の正体が分かったように思う。実は一言で済んだのだ。
言い訳がましい
 同じ猫殺し行為でも、例えば「うちは先祖代々昔っから猫食べてるし、伝統行事には不可欠なんで止めるつもりはないよ」などとあっけらかんと言われたら、感情的には納得できなくても「そうか」と黙るしかないだろう。坂東氏の文章に感じたのは、ご自身でも納得し切れてないような不安定さなのだ。
 誰かに正しいと認めて欲しかったなら、もうちょっとプライヴェートなところでご相談するべきでしたな。テレビの身の上相談のようなものか?