「攻殻機動隊 SAC 2nd GIG」を見ていて

 ふと考えた。
 少佐は子供の頃から全身義体なのに、どうして戦場でも女性型のあのスタイルをとり続けてるんだろう。二次性徴前から全身義体なら、それこそどっちの性別も選べるように思うんだけども、戦場で叩き上げのマッチョな軍人達とチームを組んで働く時に女性型にしとくメリットが何かあるのか? 身体能力としてのスペックに違いがあるとは思えないから、単に心理的な物か。自分にとってか他人に対してかはわからないけど。単に自分のスタイルとしての好み、馴染み易さというくらいの理由か?
 あるいは端末では、男性型やヒト型でないのも操ってるのかもしれん。そういや原作ではヒト型の姿さえやめてしまったヒトというのも出てくるんだった。(「イノセンス」のベースの一つになってる暴走アンドロイドの話の、電子機器メーカー社長とかね)
 アニメ版の素子はあくまでクールでタフな女性軍人ということになってるけど、わざわざああいう容姿を選んで女言葉で話し、露出度の高い服装をしてるということは、意識して女性性をアピールしてるわけではあるよなあ。(個人的には、戦闘・戦略のプロながらもお茶目で可愛らしい原作版のが好みなんだけども)それが「持って生まれた変更困難な性質」ではなくて「いくらでも違う形を選べる中から敢えて自分で選んだイメージ」ということを意識して見ると、キャラクターも物語も全然違って見えてくるような。
 そういや原作では素子はバイセクシャルで、オフには女性(型)のおともだちと絡んでいたりもしたが、ああいうことを男性型義体orヴァーチャルイメージを用いてやる事だって十分可能なわけだ――ううむ、森奈津子作品あたりにありそうな状況だな。
#追記:そういや前回のお話にはそう言う部分も――おっとこれはネタバレ。